加えて、ズラリと揃った役者たち。松岡茉優、吉田羊、星野源……それぞれに迫力があり個性を発揮している。
第2話は、平凡な家族に突然降り掛かった出来事。妊婦が事故にあい救急病棟に運ばれる。胎児を助けるのか、母親の命を優先するのか。夫は究極の選択を迫られ--どこにでもいそうな普通のサラリーマンお父さんをリアルに演じた小栗旬。救急病棟のベッドに横になる妻を前に、あたふたとたじろぎ、慟哭する。
演技が上手くてリアリティが高ければ高いほど、視聴者は逃げ場がなくなる。お腹の中の赤ちゃんか。それとも妻か。どちらかを選ぶなんて、見ていて辛い。辛すぎる。目をそむけたくなる。お酒を飲みながらのんびりとお茶の間で楽しむ娯楽では、もはやなくなってしまう。
これって、とんでもない皮肉なのだろうか? ドラマっていったい何? 『コウノドリ』と向き合って考えさせられた。
もしもこれが恋愛ドラマなら……主人公がどんなにひどい失恋をしても、もう一度恋をすればいいじゃない、と思える。でも、生死の問題はそうはいかない。ドラマの中で母親は死に、赤ん坊は生きる結果になった。医療をテーマにしたドラマの、リアリティとはどうあるべき……?
「綾野くんは見たいけれど、物語が辛すぎて」という何とも皮肉な結果を超えていくために、ドラマには一つの「仕掛け」が用意されている。
鴻鳥のもう一つの別の姿、天才ピアニスト・ベイビーだ。まるでベートーベンのように長髪のカツラをつけ髪の毛を振り乱し、ピアノを演奏する。鍵盤にすべての感情を叩きつけるかのように。
そんな『コウノドリ』は、まるで「カメレオン」綾野剛という役者のために用意されたようなドラマだ。カリカチュアされたピアニストになりきって、シビアさを振り払ったその先に、どんなドラマツルギーが現れてくるのだろう? 「見たいけれど見るのがつらい」という新しいテーマに挑戦する新しい医療ドラマなのかもしれない。