「例えば法事の席で『おじさん、これ食べるぅ?』なんて言えない。『召し上がりますか?』と言えと、さんざん父に教育されました。言葉は場所によって使い分けるものだと知りました」
自由にのびのび育てられた子供たちは「個性」を自己主張を始める。
「今の若い人たちって、自分の主義は守ります、と言うんですよね。例えば、『私、朝はコーヒーを飲まないことにしているんです。それが私のライフスタイルですから』とか。だけどそんな若いうちからライフスタイルとか主義とか決めるの、もったいないと思うんですよね。まだ知らないけどおもしろいことはいっぱいあるのに」
それは社会における上司と部下のカンケイでも同じ。
「昔は、学校を卒業して入社した者を立派な人間に育て上げるのが上司の義務でした。『やり直してこい!』と怒鳴って嫌われても『あいつを鍛えなくてはならない』と義務感があったが、今そんなことをしたら、すぐに辞めてしまうし、下手したらあの上司にパワハラされたと言われ、自分の地位さえ危うくなってしまう。
特に、最近増えて来た女性管理職はもっと叱るのが難しい。声を荒らげれば、『ヒステリックだ』と陰口をたたかれる。叱る側も、叱られた経験もないし叱る訓練も受けてない。家庭でも会社でも、叱る側が脆弱になっているのかもしれない」
その全ての根本が父と子のカンケイにある。「叱られた経験」を山のように持つ阿川さんは「叱る側」の父親には常にアメとムチがあったと振り返る。
「理不尽に厳しく怒る父に、“私が憎いのではないか”と思ったことが何度もありました。だけど、気づくと修復しているんですよね。私が理不尽だ、と思いながらも謝ると『今日は飯でも食いに行くか』と父なりの気遣いもあった。
これは家族間の“暗黙の了解”のようなもので、他人ならこうはいかない。でも今は、それも危ういのかなぁ。父親が怒鳴って、夜中気がついたら子供に金属バットで殴られて殺されるなんてこともありますからね。おちおち叱れないですね」
※女性セブン10月27日号