そこで日活が社運を賭けたのが、「製作期間7~10日」「予算750万円」「上映時間70分」「10分に1度の濡れ場」などの条件で製作する新路線「ロマンポルノ」だった。
この路線転換に反対し、多くの監督やプロデューサーが日活を去った。小沼氏は自宅待機中の10月半ば過ぎ、製作部長から呼び出され、「監督をやってほしい。ポルノだけど、セックスシーンが3つ、4つあれば自由に撮っていい」と告げられた。入社10年目の監督昇進だ。
「世間では老舗日活がピンク映画プロダクションまがいのことを始めると聞いて眉をひそめる人も多かった。製作条件も過酷でしたが、ピンク作品の助監督の経験もあったし、罪悪感も全くなかった。やっと自分の映画が撮れるという喜びだけで、不安はゼロでしたね」
日活ロマンポルノは1971年11月20日、白川和子主演『団地妻 昼下りの情事』(西村昭五郎監督)、小川節子主演『色暦大奥秘話』(林功監督)の2本立てで封切られた。それに先立つ撮影所での『昼下りの情事』の試写会は、監督やスタッフらで約100席が埋まり、立ち見が出るほどのすし詰め状態だった。
第1弾の公開後、ロマンポルノは大ヒット。50館弱で始まったが、すぐに80館に拡大され、好調な滑り出しとなった。