私の将来を心配した父は、「これだけあればなんとか暮らしていけるだろう」と、預金や株などを私にくれました。妹が死の直前まで、私を泥棒呼ばわりしたのはこのときのことです。
ですが、お金で夫の死の悲しみが埋められるものではありません。私にまとわりつく小さい娘も、そのときの私には、ただわずらわしいだけ。
「夫のところに行きたい」とうわごとのように繰り返し、正直、夫の死からしばらくは記憶がありません。
◆不仲の妹の夫もまた、交通事故で…
その頃、父のところへ若い医者の卵が勉強会と称して、お酒を飲みに訪ねて来ていました。お酒を交わしながら、医療の話をしていたようですが、そんな集まりに、医者の卵だけでなく、同じ大学の仲間も家を訪ねて来るようになったのです。
その中の1人が現在の夫です。知り合った当時、国立大学の水産学部を卒業して水産研究所に勤めていました。
ちょっと変わった人で、私にひと目惚れした彼は、「子連れの未亡人となんか」という自らの親族の反対にも、「それと結婚がどう関係ある」の一点張り。猛烈アタックをしてきたのです。
当時、24才の夫との年の差は8才。ためらう気持ちはありましたが、長男も彼にとても懐なついていたし、父も「彼がお前を好いているからいいよ」と再婚に賛成してくれ、長男が8才の時に再婚しました。
が、彼の両親は激怒し、その後15年ほど絶縁されました。そして、私の身内でこの再婚にただ1人反対していたのが妹です。理由は、私の夫の実家が農家だから。
「医者家系のわが家とは家柄が釣り合わない。どんな医者でも医者ならいい。医者ではない人をうちの婿養子にするのは、承知できない。いくら再婚だからって、お姉ちゃんにはプライドというものがないの!」と話になりません。
それを機に疎遠になっていた妹でしたが、まさか義弟が数年後に亡くなるとは…。しかも交通事故で即死。わずか10年の間に、姉妹とも未亡人になるなんて。
嘆き悲しむ妹は、再婚前の私そのものです。また妹と行き来が始まりました。が、それは新たなトラブルの火種を育てることでもあったのです──。
〈次回に続く〉
※女性セブン2017年3月9日号