「帰化しても故郷を失った気持ちにはならなかった。私には野球があり、野球が私と台湾をつないでいる。精神面で台湾の選手は甘く、諦めやすい。何事にも諦めない日本野球の良さや高い技術を台湾に伝えたい」
いま台湾の大学で野球を教える郭源治はつぶやいた。
現在、台湾のプロ野球選手213人のなかで、先住民の占める割合はなんと77人(36%)に達する。しかも年々増えているのだ【*注5】。
【※注5: 2000年は17%、2010年は26%。2016年の77人の先住民選手のうちアミ族は65人を占め、圧倒的多数。当然、台東など東海岸出身者がことのほか多い】
この異常な比率は、日本が伝えた野球が、先住民のアミ族社会を中心に芽吹き、能高団やKANO、台東の少年野球などで脈々と引き継がれ、成長を続けていることを意味している。台湾は戦前戦後を通して優れた選手を日本に送り込み、彼らが持ち帰ったものがさらに台湾野球を豊かにしてきた。
近代において「戦争」と「統治」で交わった日本と台湾の運命が、野球という橋梁を通して、戦前戦後を経ていまなおつながる姿がそこにある。今日の陽岱鋼や郭源治らタイワニーズの活躍は、百年という遠い過去に台湾の土地に種が蒔かれていたのだ。
【著者プロフィール】野嶋剛●1968年生まれ。上智大学新聞学科卒。在学中に香港中文大学・台湾師範大学に留学。1992年朝日新聞社入社後、2001年からシンガポール支局長。その間、アフガン・イラク戦争の従軍取材を経験。政治部、台北支局長、AERA編集部などを経て、2016年4月からフリーに。主な著書に『ふたつの故宮博物院』『台湾とは何か』。
※SAPIO2017年5月号