森友学園騒動で何かと世間を騒がせる安倍晋三首相(62才)の妻・昭恵さん(54才)。小・中・高と聖心女子学院に通ったいわゆる“お嬢様育ち”であることは言わずと知れている。そして、同じく聖心女子学院で中・高・大と過ごされたのが皇后・美智子さまだ。昭恵さんは聖心女子専門学校卒で、美智子さまは聖心女子大学卒と最終学歴こそ違うが、昭恵さんが美智子さまに親近感を覚えていたことは想像に難くない。
しかし、責任ある立場の夫を持つ「特別な妻」としての2人の立ち居振る舞いや覚悟には、大きな隔たりがある──。
振り返れば、美智子さまの歩まれてきた道は苦難の連続だった。聖心女子大学を卒業したばかりの美智子さまが、軽井沢のテニスコートで陛下(当時は皇太子)と運命的な出会いを果たされたのは、今から60年前の1957年。だが、当時皇太子妃は元皇族や元華族から選ばれるのが通例だった。一般家庭出身の皇太子妃候補だった美智子さまへの逆風は、容赦のないものだった。
「昭和天皇は承諾されましたが、香淳皇后はご成婚に複雑な感情を抱かれていたといいます。加えて、学習院女子のOG会である『常磐会』からも、“皇太子妃は学習院女子の出身者でなければ”といった反対の声がくすぶっていたといいます」(ベテラン皇室記者)
翻弄された美智子さまは、一時日本を離れることになる。ベルギーからさらにイギリスやイタリア、オランダなどを回り、アメリカへと渡られた。ナイアガラの滝をご覧になった時のお気持ちを、美智子さまは次のように漏らされたという。
「10月20日は、私の24才の誕生日でした。その日、ナイアガラの滝を見に行き、滝壺に下りてまいりました。ひとりでたたずみながら、渦を見ていました。このまま飛び込んでしまおうか…、そんな妄想に悩まされたりもしました」
それほどまでに、美智子さまの懊悩は深いものだった。若き美智子さまに何ら落ち度があったわけではない。ただ「民間に生まれた」という理由だけだった。皇族という「公」の存在に嫁ぐということは、「私」の部分が丸裸にされ、言われのないことも含めて常に批判にさらされる可能性があるということを美智子さまは黙って受け入れられてきた。
晴れて民間から初の皇太子妃として皇室に入られた後も快く思わない人々からの反発の声は続いた。