◆反権威・反空気・前衛
筒井文学の底流にあるのは、徹底的な反権威・反空気・前衛である。小松左京の『日本沈没』(1973年)が社会現象を起こしたと思えば、同年『日本以外全部沈没』を発表して小松という権威に対抗する。
初期作品『農協月へ行く』(1973年)では列島改造ブームで土地成金となった「ノーキョー」を徹底的に揶揄し、『アフリカの爆弾』(1968年)では東西冷戦と核爆弾までも勃起した男性器に例えて皮肉って見せる。映画化もされた『俗物図鑑』(1972年)では世からはみ出た奇人・変人評論家が梁山泊に立てこもる長編で、『最後の喫煙者』(1990年)では亢進する嫌煙権運動をオーウェルの『1984』になぞらえた管理主義への皮肉である。
他方、同様に近未来の管理社会を揶揄した『無人警察』(1972年)が1993年になって高校教科書に掲載され、その内容が日本てんかん協会から「差別的」と抗議を受けると、「言葉狩り」に憤慨して同年に断筆。いわゆる「断筆宣言」である(1996年解除)。
筒井氏は常に権威に逆らい、空気を攪拌し、『残像に口紅を』(1989年)、『朝のガスパール』(1992年)などに代表される文学的実験の前衛を走り続けた。筒井文学の批判と揶揄と嘲笑の方向には、時として権力者があったが、そして同様に弱者に対しても容赦なくその矛先は向けられた。