ひとくちに「平成の総理」といっても、大きく2期に分かれる。竹下登首相から宮澤喜一首相までの自民党政権は、派閥政治という名の集団指導体制で運営され、「調整型」の政治が行われた。
しかし、非自民の細川護煕政権以降の政界は多党乱立で政党の離合集散が激しい不安定な連立時代に突入。そのうえ小選挙区制の導入で首相個人の資質に政治が大きく左右される状況が生まれた。
超短命の羽田孜首相のようなリーダーが登場すると国民には悲劇だ。安倍晋三氏(第一次)から野田佳彦氏までの6代の総理も就任から短期間で支持率が急落するジェットコースター現象により1年前後で交代し、「決められない政治」が続いて日本は壊れていった。
そんな中、強いリーダーシップを発揮し、国民に直接訴える「劇場型政治」の手法を編み出して良くも悪くも日本を動かしたのが小泉純一郎首相だった。
小泉氏とは対照的なのが小渕恵三首相で、自民党派閥政治の真っ只中で育った「調整型政治家」ながら、少数政権で未曾有の金融危機に直面すると、野党の政策を丸呑みするという大胆な妥協で対策をまとめ、なんとか危機を乗り切った。意外に思われるかもしれないが、評価が高いのはそのためだ。