だがこの時、中国の常套手段が出た。彼らの対日外交は、持ち金を全て賭けて勝負に出る“オールイン”という手法が特徴である。
事件後、中国は首脳級から民間までの交流を全てストップするだけでなく、何の関係もない「フジタ」の社員を拘束してレアアースの輸出を停止した。このオールインに恐れをなした菅は那覇地検に責任を擦りつけ船長を釈放。中国の恫喝外交が完全勝利した。
自民党政権も民主党政権とさほど変わらない。中でも国際社会で中国を利した平成初の首相は海部俊樹だ。
1989年6月4日の天安門事件後、中国のイメージが失墜し国際社会がこぞって制裁措置を取る中、海部は世界に先がけて対中制裁を解除した。海部に続く宮澤喜一は、反対が多数を占めた天皇皇后両陛下の訪中を閣議決定し、天安門事件で四面楚歌の中国に突破口を与えた。一連の動きの背景には、自民党の親中派議員の働きかけがあったとされる。(文中敬称略)
●やいた・あきお/1972年中国天津市生まれ。15歳のときに残留孤児2世として日本に引き揚げ。慶應大学卒業。松下政経塾塾生などを経て産経新聞社に入社。2016年まで約10年間北京特派員として中国に駐在。『習近平 なぜ暴走するのか』(文春文庫)などの著書がある。
※SAPIO2017年7月号