太田:翌年、湯川れい子さんが『センチメンタル・ジャーニー』で「伊代はまだ16だから」と、詞の中に歌手本人の名前を入れた。1970年代にない遊び心を感じました。あの軽さが82年組の原点。
売野:ハード面で言うと、洋楽と同じように、曲を先に作って詞を後で付けるようになりました。スタジオで曲を録音しておけば、あとは詞を待てばいい。必ず発売日にリリースできるようになり、アイドルの量産体制が生まれた側面もあるかもしれません。
松下:82年組はヤックン(薬丸裕英)と石川秀美ちゃんが結婚したように、同期が仲良さそうでしたよね。そういう意味で、人間らしいアイドルの始まりだった気もします。
太田:中森明菜さんは他のアイドルと一線を画していましたよね。デビュー曲の『スローモーション』はアイドルの王道で淡い恋を歌った。それが2曲目の『少女A』でツッパリ路線に180度変わった。作詞された売野さんは路線変更を意識したんですか?
売野:戦略的な意識は全くなかったですね。僕はまだ駆け出しで、アルバムの候補曲として書きました。新聞の社会面に載る『少女A』という反社会のシンボルを、華やかなアイドルに当てはめたら面白いだろうと。候補に残っていった時、「そろそろ本当のタイトルを出してください」と言われたんですよ。『少女』という曲のAパターン、仮タイトルだと思われていた(笑い)。