「お葬式も家族だけであげたので、友人たちは見送ることができませんでした。せめて同期同士で思い出話をして彼女を偲ぼうとなったようです。みんな、有賀さんと一緒に撮った昔の懐かしい写真を持ち寄って、有賀さんとの思い出を語り合ったそうです。天性の明るさでいつも笑顔だった有賀さんなら、涙だらけの湿っぽい会にしてほしくないだろうという参加者の思いから、笑顔の絶えない時間だったと聞いています」(前出・フジテレビ関係者)
有賀さんは周囲はおろか、実父・洋さんにさえ病気を隠していたという。
「他人に迷惑や心配をかけたくない」。そんな思いから独立独行の人生を歩んだ有賀さんは、命の始末までも、自らのやり方を貫いた。
「最期まで自分のしたいようにして、そんなちょっと頑固なところも“有賀さんらしいね”って。でも、どうしても一人娘のA子さんのことだけは心残りだったんじゃないかと思うんです。八木さんも景子さんも、1人遺された娘さんの“行き場”をすごく心配していたそうです」(前出・フジテレビ関係者)
有賀さんがフジテレビに入局したのはバブル全盛期の1988年。バラエティー番組で共演者に勝る華やかさと存在感を見せつけ、それまでお堅いイメージだった「女子アナ」という職業を一変させた。
1992年のフリー転身後、2002年にフジテレビ時代の元上司で解説委員だった和田圭さん(65才)と結婚、女の子が生まれた。だが2006年、娘が3才のときに離婚。A子さんは現在15才、この春から高校生になる。
※女性セブン2018年3月15日号