ヘアヌードが許されていなかった当時、モデルが陰毛を全て処理してきていた。「毛を剃れば隠す面積が半分になるのか!」と感銘を受けた末井は、撮影現場の大浴場などで自らモデルの陰毛を入念に手入れした。他の雑誌にない刺激的な写真で読者を掴んだが、警察から「毛があるべきところにないとマズいだろ」と大目玉を食らった。
「あるべきところと言っても、個人差がありますからね。毎月のようにやり取りをするので、ミリ単位で境界線がわかるようになりました」
結局、女性器の俗称を36回載せた小説が決定打となり、19号で発禁処分に。しかし、読者は末井の編集方針に共鳴していた。1981年創刊の『写真時代』は1号から完売の店が続出した。
給与に加え、自著の印税などで高収入を得ていたスター編集者の元には、有象無象が儲け話を持ってきた。バブル景気に沸く1987年夏、編集部に先物取引の営業マンが汗を拭いながら、「社長さん! 儲けましょう!」と大声を出しながらやってきた。
「そのテンションに巻き込まれたというか、話を聞くうちに『コレはイケるかも』と思ってしまって。しかし、世界的に株価が大暴落したブラックマンデーのおかげで、預けた1300万円が40万円しか戻ってきませんでした」
人の良さから、知人にも金を貸していた。雀荘の運転資金、税務署への追徴金、ゴミの不法投棄への罰金……理由は様々だが、いずれにしても金は返ってこない。1988年、『写真時代』が発禁処分を受けて廃刊に。自暴自棄になった末井はパチンコ店に立ち寄った。