〈タダシはどうしよるんな。まだできんかい〉〈できんなあ〉〈ほんでマリは〉〈マリか〉〈子ができとったんだろ〉〈産んだよ〉〈ノジリさんは実の子よりもマリのがかいらしいちゅうて朝に夕に連れて出よった〉〈ほれが父なしの仔犬産みょった。オスメス取り混ぜて六匹〉……。
老女二人の会話に〈ウマンテカ〉という姑の声を重ねて胸を痛めていた私は、それが犬の話だと知って唖然。何でも自慢の名犬を孕まされたノジリさんの鬼気迫る犯人探しは村中の噂らしく、老女たちは〈錠もしとったに孕んだだろ。山の猿でも入りこんで孕ましたんでないかちて〉、〈ワイが子供の時分はそういう話も聞いたちてまたどこぞの年寄りが言い出したァん。手に毛のない五本指があるようなものが生まれて人の言葉を喋るぞ悪さをするぞちてえがい脅して〉と笑い合うのだ。
「さすがにこのサルの話は創作ですが、実際あってもおかしくない話ですよね。真偽の微妙な話をまた別の誰かが勘違いして伝えることはよくあるし、論理的な生き方をしようと思っていてもできないのが、人間だよな、とも思います。
私は昔から虫とか雑草をずっといじっているような子供でしたが、だからといって生態や分類を特に突き詰めたいとも思わないんです。むしろその草を食べてみて、げ、苦いと思ったりする経験の方が私には身近で、書きたいことなんです」
◆わかり合えないことの方が普通
いざ産まれてみればどれも〈かいらしい仔犬〉の血筋を問題にするのも人間なら、幼い娘が嘘をついて初めて、彼女もまた完全にはわかり得ない人間なのだと認識する母親もいた(「家グモ」)。