2004年夏に乳がんが見つかり、翌年に右乳房の全摘出手術を受けた。2008年頃には腸や副腎、脊髄までがんが転移していることがわかり、以降がん治療は30回を数えた。2013年3月には、日本アカデミー賞授賞式で「全身がん」宣言をして世間を驚かせた。
「公の場で笑顔を絶やさず、“死ぬ死ぬ詐欺です”と自嘲してきた希林さんですが、それでも全身にがんが転移しているのは事実。日によって、体調が優れず、苦しそうなことも多いそうです」(前出・芸能関係者)
そんな母に、也哉子はひと時も離れず寄り添っていた。
「也哉子さんはつきっきりで希林さんの面倒をみています。カンヌでもそう。希林さんが車から降りる時は也哉子さんが必ず介助して、歩く時は傍らでサポート。希林さんの近くで様子を見守っていたようです」(前出・メディア関係者)
◆離れて暮らす母への心配
也哉子と本木は1995年に結婚。樹木のたっての希望で本木は婿養子になった。1997年に長男、1999年に長女が誕生した後、2001年から樹木と本木一家の「二世帯同居」がスタートした。
「1階部分に希林さんが住み、2階部分が本木さん一家のスペース。プライベートを大切にするため、二世帯同居とはいっても階段は繋がっておらず、エレベーターに乗らないと行き来できない構造にしたそうです」(別の芸能関係者)
2010年に次男が誕生。そして2012年、長女のイギリス留学をきっかけに、本木一家は生活拠点をイギリスに移すことを決める。
「当初は寄宿舎生活をする娘さんが向こうの生活に慣れるまで、という3か月限定の予定でしたが、“家族は一緒に暮らしたほうがいい”という本木さんの考えで、本格的に移住することになりました。次男が生まれて、“幼いうちから海外生活に慣れさせたい”と考えたことも理由にあったそうです」(前出・別の芸能関係者)
樹木にとって、子供と孫に囲まれて暮らす日々は、この上ない幸せな時間だったに違いない。それでも、樹木は娘夫婦の選択を後押しした。
「希林さんは、“今は親が子供に干渉しすぎている”という考えで、孫への教育方針やしつけについてあれこれ言うことはなかったそうです。本木さんと也哉子さんへの信頼も厚い。自分が病気だからとか、年取っているからとかいう事情で子供たちの人生に影響を与えたくないという考えもあったんだと思います」(樹木の知人)
それでも節目には家族で帰国し、樹木との交流を重ねた。毎年正月には、木村拓哉(45才)・工藤静香(48才)一家と、会社経営者の知人が開く新年会にも揃って参加している。
樹木は、自らの「死の支度」も本木に託している。