「金本監督も鳥谷に気を遣わないかんから大変やな」と話すのは、第22代監督(1982~1984年)の安藤統男氏だ。安藤氏は、1983年入団のバースを辛抱強く主砲に据え続け、監督を退いた翌1985年の日本一の“陰の功労者”といわれる。
「当時も記録がかかる選手がいたから監督は大変だったよ。僕の場合は、バースと同じファーストに、阪神球団初の2000本安打達成がかかる晩年の藤田平がいた。2人をうまく併用しなきゃいけなかった。安打記録なら試合に出ない日もあっていいが、鳥谷は必ず出さないといけないからね。
鳥谷の体力が衰えたようには見えないが、今の状態でレギュラーに固定するのは冒険だわな。僕が監督だったら、やっぱり守備か代打要員で使うだろうね」
“記録がかかった大変な選手”の側で名前が挙がった藤田平氏は、阪神生え抜きで最多の2064安打を達成し、引退後に第26代監督(1995~1996年)を務めた。その藤田氏は、「僕なら鳥谷をサードに戻します」と真っ向から反論する。
「鳥谷は昨年、ショートに北條(史也、23)が台頭してきたという理由でコンバートされたサードで、ゴールデングラブ賞を受賞した。それが、今年からはセカンドに回された。僕だったらそんなコロコロとは変えない。さらに、金本監督はキャンプで“代打でやってほしい”ではなく、“セカンドでやってほしい”と言っている。それならレギュラーにしないと筋が通らない。鳥谷は現在2025安打で、僕の2064安打を抜きたいだろうし、“出続ければサードの大山(悠輔、23)よりオレのほうが打つ”と思っているでしょうね」