「内田氏を一アメフト部の監督としてとらえていると、実態は見えてきません。内田氏は、相撲部総監督でもある田中理事長から、34ある運動部の予算を差配する局長を任されている人物として位置づける必要がある」
簡単には切れない存在だとする解説だが、それでも疑問なのは、なぜ相撲―アメフト部ラインが巨大組織の中枢を占めるに至ったのか、という点だ。
◆1968年の日大体育会
その権力体制のルーツは学生運動の時代に遡る。過激化する「学生たち」と、「大学当局」や「治安当局」が激しく対立した時代、日大では他と少し違った構図が生まれていた──。
1968年、日大に20億円もの使途不明金が発覚したことから、学生や父母が古田重二良(じゅうじろう)会頭(故人)を追及し、全理事の退陣を求める運動に発展する。相撲部OBが語る。
「当時、古田会頭は左翼学生から猛烈な批判の矢面に立たされていました。その時に古田会頭が、用心棒として“重用”したのが柔道部、相撲部、アメフト部といった体育会に所属する屈強な学生たちだったのです」