「元々脳科学の本は好きで。恐怖という防衛本能や共感能力の欠損以外に、発汗や心拍数などの客観的特徴もあるのが興味深い。特に心拍数は心理のメーターゲージとしてピッタリでした。主人公が恐怖感情を持つと、それが行動を抑制し、物語を縛る。だから『羊たちの沈黙』のレクターもあくまで三人称で書かれる敵役なんです。そこで僕は、あえてサイコパスの一人称を書こうと思いました」
高校卒業後、都内のバイク便会社に入社した錠也は、配送先の出版社で間戸村と出会い、尾行係にスカウトされる。悪天候の中を顔色一つ変えずに疾走する彼に、間戸村は〈やばいなこいつ〉と直感したらしく、この日も大物俳優と朝ドラ女優の不倫現場を押さえた彼に報酬を奮発してくれた。が、錠也にとっては命知らずな走行で心拍数を上げ、〈まとも〉でいることが、バイトの最大の目的なのだ。
「究極の怖いもの知らずという特性を間戸村はうまく生かしてくれたともいえて、このままいけば錠也はその才能を開花させずに済んだかもしれないんですよね。絵や音楽の才能も、環境次第で開花したりしなかったりする。サイコパスは遺伝するのかとか、〈鉛〉の摂取との関係とか、科学的事実は正確に知っておく方がいい。それを隠すと、逆に差別や偏見が生まれます」
それは幼馴染の〈うどん〉こと迫間順平と久々に会い、実はうどんの旧姓が〈田子〉で、父〈庸平〉はかつて飲食店に強盗に入り、女性従業員を撃った犯人だと告白された後のことだった。
19年前、錠也の母が当時勤めていたパブで田子庸平という男に撃たれ、命がけで彼を産んだことは、園長から錠也も聞いていた。〈やっぱり俺のお父さんが撃ったのって〉と言い募るうどんに錠也は〈違うから〉とだけ答える。だが、自宅近くの公園でトイレに入った時だ。鏡の中の〈凍りついたような目〉に、彼は初めての恐怖を覚えるのである。