甲子園取材では、敗れたチームにドラフト候補がいれば、「進路」について質問するのが常である。大学進学を既に決めている選手ははっきりそれを明言し、「進路に関してはこれから……」「親や監督と相談してから」と言葉を濁す選手は、プロ志望届の提出を決めているか、本当に迷っているかのどちらかである。
少なくとも、大会が開幕する17日前までは大学進学で固まっていた吉田の胸中に、迷いが生じていることだけは窺えた。秋田に帰った後、憧れの球団として巨人の名を挙げている。
今大会で「レジェンド始球式」のマウンドに上がったなかに、吉田が尊敬する人物がいた。34年前に金足農業と対戦したPL学園のエース・桑田真澄だ。
この桑田こそ、大人の思惑が交錯するドラフトによって翻弄されたひとりだろう。早稲田大への進学を公言していた桑田は、1985年ドラフトで巨人の単独1位指名を受けて入団。その結果、密約を疑われ、巨人への入団を切望していた清原和博とも、30年以上が経過しても禍根を残したままである。また、早大にはそれ以降、PL学園出身選手は1人も入部することができなかった。桑田はインタビューで当時をこう振り返っている。
〈どこどこの球団が指名すると言ってるぞ、と言われても、『ありがたいですね』と言うだけで、誰に対しても心の中は見せませんでした。(中略)誰も信じなかった。親父のことでさえ、信じていませんでした〉(「Number」2017年10月26日号)