12月下旬になると1日に牛乳1本しか与えず、少女は心身とも極度の衰弱状態に陥った。同居するCの両親は少女の存在に気づいていたが、息子たちの暴力を恐れて何も手を打たなかった。
少女が短すぎる人生を終えたのは、1989年1月4日。前日に賭け麻雀で大敗したAは腹いせのため3人を誘い、ぐったりする少女に殴る蹴るの暴行を加えた。さらにロウソクに火をつけて少女の顔にロウをたらし、約1.6kgの鉄アレイを腹に落とした。
その日、2時間にわたり凄惨なリンチを受けた少女は横たわったまま息を引き取った。翌日、少年らは遺体を盗んだドラム缶に詰め込んでセメントを流し入れ、東京都江東区の埋め立て地に遺棄した。
昭和から平成になって3か月足らずの同年3月、別の婦女暴行容疑で逮捕されたAの自白によって遺体が発見され、事件は明るみに出た。
裁判の結果、Aが懲役20年、Bが懲役5年以上10年以下、Cが懲役5年以上9年以下、Dが懲役5年以上7年以下で量刑が確定した。この少年Cが、冒頭の事件を起こした湊である。
17才の少女の尊厳と人生を奪った大罪に対し、最大で懲役20年は軽すぎるとの声が出る一方、少年の社会復帰を助ける少年法の理念から、判決を支持する声もあった。
※女性セブン2018年9月13日号