「ずっと“熱っぽい”と話していて、いつも冷却シートをおでこに貼り、首には冷たいタオルを巻いて過ごしていました。楽屋で点滴を打っていたこともありました。悲鳴のような声が楽屋の方から聞こえるとヒヤリとしました。命を削って舞台に上がっているというか…あの状態で舞台を一度も休まないというのは、さすがというか執念を感じましたね」(前出・舞台関係者)
本番を終えると、舞台に倒れ込むようにしゃがみ、荒い呼吸が続く。グッタリとしながら、スタッフの手を借りて楽屋に戻るのがやっとだったという。
春の連ドラ出演に、今回の舞台。9月1日からは同じく『黄昏』の地方公演が始まり、そしてまた秋からは来年スタートのドラマ『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系)の撮影が始まる。なぜ87才の今、ここまでの超過密スケジュールで仕事をこなさなければならないのか。
◆50年連れ添った夫が亡くなって
八千草は1947年に宝塚歌劇団に入団。娘役として絶大な人気を誇り、一時代を築いた。当時からお嫁さんにしたい有名人アンケートで1位に。退団後も“清純”なイメージそのままに、良妻賢母役を数多く演じてきた。
穏やかな表情や話し方などからも上品でおっとりとしている印象だが、そんなイメージとは裏腹に、演技に対して非常にストイックで、頑固な面も知られた。
「1975年のドラマ『赤い疑惑』(TBS系)では、山口百恵さん(59才)の母親役を演じましたが、全29話あるにもかかわらず6話で降板してしまいました。理由は超多忙な百恵さんのスケジュールに撮影が左右されたこと。そして、八千草さんと向かい合う場面では、百恵さんの代役が背中だけ見せていることに、女優としてがまんがならなかったからだといわれました。誰に対しても先輩女優として言うべきことは言うという、演技に対する厳しい姿から“共演するのが怖い”という声は最近までよく聞かれました」(ベテラン芸能記者)
プライベートでも、彼女の意志は強かった。宝塚を退団した1957年に19才も年上の映画監督・谷口千吉さん(享年95)と結婚した。
「宝塚を退団し、フリーの女優として活躍が期待された矢先の人気絶頂期の結婚は大きな騒ぎになりました。当時、谷口さんには女優の若山セツ子さんという妻がいました。離婚後すぐに八千草さんと結婚したので“略奪婚”だといわれました。谷口さんにとっては3度目の結婚でしたね」(前出・ベテラン芸能記者)
2人に子供はおらず、2007年に谷口さんが95才で亡くなるまで50年間連れ添った。
◆無理をするのは悪いことではない