「あのまま残っていたら、今の田原はないですから」──田原俊彦はこう言った。私には、この言葉が強がりに聞こえなかった。
考えてみれば、田原とともに1980年代の歌謡界を盛り上げた少年隊は、現在もジャニーズ事務所に所属しているが、2006年の『想 SOH』を最後にもう12年もシングルが発売されていない。この曲が出るまでにも、5年ものブランクがあった。
2015年、記念すべき少年隊30周年の年も3人での活動はなかった。これが本人たちの意志なのか、事務所の方針なのかはわからないが、ジャニーズの歴史を振り返る上で、歌って踊れる少年隊は間違いなくジャニー喜多川氏の理想のグループだった。
その彼らが解散していないのに、主だった活動をしていないことは残念でならない。
田原は独立理由について、前出の自伝で〈僕は基本的にジャニーズ事務所はティーンエイジャーのための会社であるべきだと、思っている〉、〈もし、僕があのまま事務所に残った場合、どうなっていただろうと考えることがある。現役を引退して後輩を指導したり、管理職的な立場になったりということもあるかもしれないが、そういう考えにはなれなかったのだ〉と述べている。
実際、創業当初から1990年代までのジャニーズ事務所で30歳を超えたタレントはほとんど存在しなかった。田原の言うように10代、20代前半の男性が中心だったのだ。
また、昨今のジャニーズ事務所を見れば、53歳の錦織一清は舞台演出をしているし、36歳の滝沢秀明は『タッキー&翼』を解散し、年内で芸能界を引退。ジャニー喜多川氏の後を受け継いで育成とプロデュース業に専念すると発表された。
当時の状況、現在の事務所の動向を考えると、田原俊彦の独立は自然な選択だったように思える。