のりピーの愛称で愛された(『Blue Pearl』 撮影/井ノ元浩二)
2000年代に入ると、バラエティタレントが事務所を支える。その中心的存在となったのが、相澤が最後にスカウトしたタレントであるベッキーだ。1998年、下着メーカーのオーディションに出場すると、審査員をしていた相澤と福田の目に留まり、「サンミュージック賞」を授与した。
「終了後の控え室でコーヒーが出された時、『飲む習慣がないので、申し訳ありません』と丁重に断わったんですよ。普通、中学生がそんな言い方しないですよ。聖子にしても、売れる子は親のしつけがきちんとしていますね」
2013年5月、相澤が逝去する2日前、1971年にデビューするも鳴かず飛ばずに終わった中森重樹が病院を訪ねてきた。相澤はか細い声で「俺と出会って幸せだったか」と尋ねた。中森は「幸せだから、ここにいるんですよ」と手を握りしめた。
「40数年前、無理やり佐渡から連れてきてたことを最後まで気にしていたんだなと……。普通は恨むのに、重樹は毎年正月、相澤に挨拶しに行っていたそうです」
デビューの頃、中森は相澤の手首に巻かれたロレックスを見て「俺も欲しいな」と呟いた。すると、「若造のする時計じゃない。男が一生懸命働いて、ご褒美に買うものだ。毎月貯金をして50過ぎたらにしろ」と説かれた。
その日、中森が「52歳で買いました」と高級品を見せると、ベッドに横たわる相澤は笑顔で頷き、再び眠りについた。
サンミュージック──戦後芸能史に残る名物事務所の半世紀には、タレントとスタッフの絆を示す知られざるエピソードが隠されていた。
取材・文■岡野誠
※週刊ポスト2018年11月30日号