田村英里子は大胆カレンダーが話題に(撮影/野村誠一)
1989年、清水美砂は知り合いの娘で、「芸能界は甘くないと説教して」と頼まれていたのに、会ったら、綺麗な娘で思わずスカウトしてしまった。NHK連続テレビ小説『青春家族』でヒロインに抜擢された際には、最終選考で「自分の一番良いところを見せてください」というお題に対し、髪を束ねて後ろを向いてから振り返り、「見返り美人です」とアドリブを繰り出した。
「機転の利く子でしたね。この頃から音楽祭の視聴率が下がってきて、歌番組も姿を消していった。歌手中心の事務所だから、苦しかった。でも、ウチは不思議と救世主が現われるんですよ」
同年には田村英里子がデビュー。翌年、大胆なショットのカレンダーで話題になった。
「茨城の勝田に出向いて、反対する親を何とか説得しました。彼女は『一生忘れません』と感謝してくれました。度胸もあるし、感性が優れた子でしたね」
テレビ界の流れに沿うように、1990年代は女優に活路を見出していった。桜井幸子は1990年に歌手デビューしたが、女優業にシフトすると『高校教師』『未成年』などがヒット。安達祐実は『家なき子』で一世を風靡し、酒井法子は『星の金貨』でアイドルから女優への転換を果たした。
「事務所がピンチになっても、相澤は『福ちゃんね、失敗したらさ、また最初から2人でやろうや』とよく言っていた。『平気だよ』が口癖でしたね。肝が据わっていた。それに、タレントのことを本当に愛していましたね。松田聖子がアメリカ進出したいと言ったら英会話を学び始め、酒井法子の中国公演が決まると中国語を習い出していた」
◆相澤会長が最後に見つけたベッキーという原石