終章に吃音最大の難点は、その〈曖昧さ〉と〈他者が介在する障害〉であることとある。吃音はそもそも〈他者とのコミュニケーション〉の中で生じ、〈相手に不可解に思われたり驚かれたりすることに対する恥ずかしさや怖さ〉が人間関係の質そのものを変えてしまうのが、最もつらいのだと。
「ここでどもったら空気を乱すから笑っていようとか、相手も遠慮してるんじゃないかとか、それだけで会話の質って変わると思うし、昔は僕も自分だけが透明な膜の中に閉じ込められたような隔絶感を拭えなくて。その孤独感が仕事に就けないとか苛めとか、社会的な困難と相まって、吃音者を窮地に追い込むのだと思う。
ただ、本書に吃音の息子さんを持つお母さんが出てきますが、彼女が言うんです。〈苦労がある人、悩みがある人が、世の中をいいところにしているんじゃないかとも思う〉って。それも一つの真理かもしれないと、吃音だったからこの仕事に就いた僕自身、今は思えるようになった、かな?」
以前は我が子を他と比べ、できないことを数えてきたという彼女がそう思えるまでには、想像を絶する時間を要したはず。治すか受け入れるかといった二元論や、多様性という美句を超えて、各々の答えを見つけるしかないのは、人間誰しも同じなのだ。
【プロフィール】こんどう・ゆうき/1976年東京生まれ。東京大学工学部、同大学院修了後、無職のまま結婚。2003年より夫婦でオーストラリアを起点に旅と定住を繰り返し各誌に寄稿。「僕は元々小心者で、たぶん吃音がなければイイ大学、イイ会社に入ればOKというような人生に安住していたと思う」。2008年帰国。京都に住み、『遊牧夫婦』『終わりなき旅の終わり』等を発表。理系ライター集団チーム・パスカルでも活躍。大谷大学、京都造形芸術大学非常勤講師。184cm、75kg、A型。
■構成/橋本紀子 ■撮影/国府田利光
※週刊ポスト2019年3月8日号