過剰に飾られた世界の中で、俳優も強い見た目と大きな芝居で存在していた。中尾彬(百美の父)、伊勢谷友介(壇ノ浦家執事)、麿赤兒(麗の父)、竹中直人(神奈川県知事)、京本政樹(埼玉デューク)、加藤諒(埼玉出身Z組生徒)、小沢真珠(千葉解放戦線員)と、スクリーンに登場するだけで目が追ってしまう、個性派俳優たちが何人もキャスティングされている。主人公の同級生たちのメイクや衣装、「口が埼玉になるわ!」という台詞回しも宝塚のようで、ベルサイユ宮殿の中を思わせる世界を形作っていた。
世界観は原作に合わせて調整されているが、そこで活躍する登場人物たちには俳優陣の個性が加えられていた。その結果、原作よりも登場キャラクターの人間性が豊かに表現され、魅力を増している。
たとえば、原作での百美は、麗への愛情ゆえに暴走する側面ばかりが強い。だが映画では、女性である二階堂ふみが少年を演じることで中性的な雰囲気が強くなり、素直に理想と憧れを目指す少年らしさが増していた。また、瓶に閉じ込められた空気が採取された東京の地名を当てる「東京テイスティング」の場面。次々と正解する麗の様子からは、正月テレビ特番『芸能人格付けチェック』で連勝記録を持つGACKTが演じているからこそにじみ出る、超人的な存在感が生かされていた。そして、麿赤兒が白塗りと白装束に六尺ふんどしで登場し、埼玉解放戦線が地下組織として戦っていることに説得力を与えた様子が今でも目に浮かぶ。
安易な実写化だと、原作漫画やアニメの見た目をなぞるだけ、もしくは俳優がいつもの演技をするだけになっていることがある。その結果、画面の中には薄っぺらいキャラクターしか登場せず、観ているうちにひんやりした気持ちになってしまう。せっかく、いま自分がいるのとは異なる世界に没入しにきているのに、とがっかりさせられる。そういう冷たい気持ちになる瞬間が、『翔んで埼玉』鑑賞中にはまったくやってこなかった。
ここまで挙げた実写映画『翔んで埼玉』の魅力だけだと、画面の情報が多すぎて、観ると疲れるのではと思うかもしれない。だが映画では、埼玉の一家(ブラザートム、麻生久美子、島崎遥香)がカーラジオから流れる都市伝説として、百美と麗の物語を聞くという構造をつくり、箸休めの機能を果たしている。こってりした物語に対する胸焼け防止となるとともに、緊張と緩和が繰り返されるため、快適に鑑賞できるのだ。
細部までこだわって構築されている映画『翔んで埼玉』は、観るたびに新しい発見がある。随所にちりばめられたご当地ネタを探したり、群衆にまぎれて参加するゆるキャラを見つける楽しみもある。もちろん、うっかり作られた漫画実写化ではなかった。客が迷子にさせられる映画ではなく、誰が見ても楽しいものとなったようだ。