実は、このような事例は初めてではない。市立秋田総合病院は、本人の意思で透析を中止した54歳の男性患者とのかかわりを「延命拒否により血液透析を自己中止した1症例の検討」という論文にまとめ、公表している。こういうオープンな精神が大事。
そのなかで、患者や家族との話し合いを十分に行なうことが前提であり、実際に透析中止を決断しなければならない状況になった場合は、主治医一人で判断することなく、チームとしての判断や倫理委員会の承認が不可欠であるとしている。
アメリカをはじめ諸外国では、患者の自己決定を尊重し、事前指定書による尊厳死が法的に認められている。医師はその決定を尊重しなければならないとガイドラインに示されている。日本でもこうした事前指定書が重要視されていくだろう。
だが、ここでも注意したいことがある。患者さんの意思は揺れ動くということだ。一度決断して、署名したのだからと、事前指定書を水戸黄門のご印籠のようにしてはいけない。揺れ動くことも自己決定の一つととらえ、柔軟に対応できる医療体制を整えなければ、本当に患者の意思を尊重することは難しい。
女性は、透析を中止した後、息が苦しくなり、「透析中止を撤回できるなら撤回したい」と申し出たという。夫は外科医に透析の再開を要望した。
外科医は女性に対して、「するならしたいと言ってください」と言う一方、「逆に苦しいのが取れればいいの」とも聞いている。そして、苦しさを取るための鎮静剤が注入され、透析は再開されないまま女性は死亡した。ここはかなり問題だ。