◆負の側面も可視化してこそ小説
〈平成の三〇年は、子供が減り外国人が増え続けた三〇年だ〉とあるが、児童虐待や子供の貧困、外国人技能実習制度の悪用など、昏(くら)い世相も平成の一部だった。
「女子高生ブームやオタク文化といった事象を僕自身懐かしく思う一方、人が人を搾取し、排除する傾向が強まり陰湿になったのも平成の側面です。
例えば第II部で15年後の事件を担当する綾乃自身、娘を虐待しかねない自分を恐れて離婚した過去を持ちますが、彼女やブルーが育った環境だけが酷いわけではない。たぶん本作に書いたことは平成を生きた誰にとっても他人事ではないし、時代も現実も個人の力ではなかなか変えられないからこそ、想像力の出番だという気がするんです。
それこそ平成7年にオウム事件と阪神大震災が起き、平成23年に東日本大震災が起きたという鉄壁の事実を前に、小説は何ができるかを僕は考えてきました。作中に引いた『世界に一つだけの花』にしても、多様性の享受という解釈と、指標やモデルの喪失という解釈の両方が可能なはず。そうしたみんなが見ないことにしている負の側面をも可視化してこそ、僕は小説だと思う」
特に印象的なのが動詞だ。冷戦構造や対立軸を失ってあらゆる価値観が〈溶けた〉時代に、人は〈選ぶ〉こともできずに生まれ、もがき、綾乃の場合は苦悩の果てに我が子を〈手放す〉のだ。