あくまで自殺を思いとどまらせるための方便だったが、彼女はその後も何度も自殺未遂を繰り返した。こうした騒動のなかで、姉たちは安楽死を求める小島さんの気持ちを理解せざるを得なくなった。
小島さんは、姉たちにこう語ったという。
「たぶん私は、末期癌だったら安楽死は選んでいないと思うよ。だって期限が決まっているし、最近なら緩和ケアで痛みも取り除けると言われているでしょ? でも、この病気は違うの。先が見えないのよ」
私が彼女の安楽死を認めざるを得ないと考えたのは、こうした家族の理解があったからだった。
◆「どこかホッとしている」
小島さんが私に何を期待しているのかわかっていた。スイスの自殺幇助団体「ライフサークル」への仲介である。しかし、私はジャーナリストであって、家族でも医師でもない。だから、「聞かれれば、知っている事実をお伝えするが、自分で判断してください。スイスへ行くためのお手伝いもできません」と、はっきり断わった。私はこれまで、安楽死をしたいという考えは尊重するが、奨めることはしないし、仲介もアドバイスもしないという方針を貫いてきた。
それは小島さんも理解してくれた。それでも小島さんは「私のような患者がいることを伝えて、安楽死の議論に一石を投じてほしい」と訴えた。
たまたまその後に、NHKのディレクターから情報共有をしたいとの申し出があり、小島さんの件を伝えたところ、密着取材へとつながった。