ご学友と学習院大のキャンパスを歩かれる礼宮さま(右端)と紀子さま(1985年11月、宮内庁提供)
例えば、本来は御代がわりで天皇の地位を継ぐ弟を意味する「皇太弟」になるべきところを、「皇太子になる教育を受けていないから」という理由で「皇嗣」という耳慣れない立場を選ばれたとされる。
2004年には兄を批判したとも受け取られかねない発言をして、今回の御代がわりに際しても「70代半ばからはできない」と自らの即位を辞退するかのような際どい発言をされたと報じられた。
だが奔放と苦悩は隣り合わせともいえる。誰よりも自由を謳歌した秋篠宮さまは、今や誰よりも重い責任を抱える方でもあられるのだ。
◆勉強嫌いな“暴れん坊アーヤ”の自由な子供時代
秋篠宮さまは1965年11月30日、皇太子さまと皇太子妃美智子さま(ともに当時)の次男として、宮内庁病院で誕生された。身長51cm、体重3000gという立派な体格で「礼宮(あやのみや)」との称号がつけられた。天皇家初となる麻酔による無痛分娩で出産された。
弟の誕生を心待ちにしていた当時6才の浩宮さま(現在の天皇陛下)は、学校から帰るなりかばんも置かず、「アーヤちゃんは」と気にかけて、あやすようになられた。当時、上皇陛下は会見でこんな教育方針を語られていた。
「いずれは差がつくかもしれないが、分け隔てなく、兄弟をなるべく一緒に同じように育てていきたい。しかし兄は将来、窮屈な立場になるので今のうちに自由に、弟は将来、兄より自由になるのでしつけに厳しく、窮屈に育てたい。大きくなったことを考えると、これでバランスがとれると思う」
まだ幼い兄弟に上皇上皇后両陛下は挨拶の仕方や人との接し方など、皇位継承者としてのマナーを厳しくしつけられたが、幼少期から帝王学を学び、穏やかな性格といわれる天皇陛下とは反対に、秋篠宮さまはわんぱくに育った。
学習院幼稚園では当時流行していた「タイガーマスクごっこ」でお友達を泣かせて、美智子さまが直々に相手の母親に何度も謝罪の電話をなさったという。元宮内庁職員が振り返る。
「まだ幼かった秋篠宮さまは茶目っ気たっぷりで、職員が池をさらっていると長靴姿でじゃぶじゃぶと入ってきて、作業を手伝ってくれました。あまりの“暴れん坊”ぶりに手を焼いた美智子さまが、元五輪選手をコーチに招聘して、マット運動を教え込まれたこともありました」