登板と登板回避のどっちが正解だったかは、誰にも決められません。選手たちには今回の出来事を今後の人生の糧にすることで、現実に起きたことを正解にしてもらいたいところ。ニュースを目にした外野としては、それを静かに祈るのが精いっぱいの関わり方ではないでしょうか。目を吊り上げて監督を非難するのは大きなお世話だし、議論が盛り上がることは、すべての関係者にとっていい迷惑です。
外野があれこれ言えば言うほど、佐々木投手もチームメイトも迷いや後悔がふくらむし、親御さんなど身近な人たちのあいだにも、国保監督に対するマイナスの感情が無駄に生まれてしまうかもしれません。批判は覚悟の上とはいえ、つらい決断をした国保監督がますます苦しむことになるのは言わずもがな。
しかし、世間様という傲慢で無責任な存在は、ああだこうだ言わずにはいられません。ネットに非難の声を書き込んでいる人も、したり顔で論評している人も、まあ似たり寄ったり。反撃してこないことがわかっている相手を攻撃し、あるいはそういう相手をダシに威張っている行為と言えるでしょう。結局は“弱い者いじめ”です。
こんなふうに言っても、手前味噌な正義の剣を振り回すのが大好きなダメなおっさんたち(年齢や性別を……以下同)は、都合のいい理屈で自分を正当化しつつ、これからも“弱い者いじめ”をやめようとはしないでしょう。今は「登板回避問題」に対して熱くなっていても、3日もすればすっかり忘れて、また別の攻撃対象を見つけるはずです。怒り続けていないと呼吸困難になるのかもしれません。
多少の冷静さと良識をお持ちのみなさまにおかれましては、その時々の話題のターゲットを攻撃してドヤ顔をしている人や、行間からドヤ顔が浮かんでくるような書き込みをしている人を見かけたら、反面教師にさせてもらって「ああ、こうはなるまい」と呟きましょう。せっせと“弱い者いじめ”をせずにいられない事情を勝手に想像して、憐憫の情を向けてみるのも一興です。
ついでにと言っては何ですが、こうやって“弱い者いじめ”をしている残念な人を批判しているこの原稿も、一種の“弱い者いじめ”に他なりません。よかったら、反面教師にしたり憐憫の情を向けたりしてください。何らかの形でお役に立てたとしたら光栄です。