吉本興業の権力ピラミッド
その大阪の大御所連でトップに君臨するのが“三巨頭”である。
「吉本芸人として初めてテレビで全国的人気を博した笑福亭仁鶴、やすし・きよしの漫才でブームを起こした西川きよし、上方落語協会会長を務めた桂文枝(三枝)です。吉本が劇場からテレビに進出する足がかりとなった大功労者である彼らのことを、吉本の上層部はなにがなんでも守る。文枝の愛人スキャンダルが起きた時の徹底擁護ぶりを見れば分かるでしょう。もっとも、彼らには権威はあっても実権はないため、会社経営に口出しすることは一切ない」(在阪の芸能記者)
前出の大阪吉本の中堅芸人は、主流派のダウンタウン閥、東京吉本の非主流派、そして大阪拠点の芸人という「三派分裂」をこう語る。
「岡本社長がいくら『吉本はファミリーだ』といったって、ほとんど話したこともない東京の連中からしてみればファミリーだなんて思えるはずがない。大阪から東京に行った松本さんたちにとっては大崎体制がファミリーだが、加藤さんたち東京勢や、僕ら大阪勢にとっては違う。分かり合えるはずがないんです」
「さんまは派閥を作らない」
そうした変化を肌で感じていたのが、ベテラン芸人の島田洋七である。若手時代を吉本興業で過ごし、独立後に1980年代の漫才ブームで大ブレイク。その後1996年に吉本へ復帰し、2007年に再度離脱し現在に至る。