松本のような笑いの才能を持つ根暗はイレギュラーな存在。面白さの指標は学生時代のヒエラルキー「人気者>一般>根暗」が概ね正しいと考えられる。人気者を超える爆発力を持つ根暗はまずいない。
中学時代、僕も芸人を夢見たがすぐに諦めた。サラリーマンと異なり堅苦しさがないことに憧れた。しかし、飄々としていること自体が芸人の芸だと気づく。芸人らしい立ち居振る舞いをするセンスを自身が持っていないことは中坊でも分かる(そもそもクラスメイトを笑わすことすらできないわけだし)。
芸人が好きな人は芸人になれない。長時間観ていれば“持っている人”ならではの強さが見えてくる。弱肉強食の世界だと理解しても、なお芸人になりたいと願う人がNSCの門を叩く。『笑イザップ』を知るまで、そう思っていた。しかし、間違った認識をしていたようだ。オーディションには自分が面白いとピュアに信じる若手芸人が大勢集まっていた。トークの達人である小籔を前にしても臆することなくエピソードトークをきた理由もココ。一般的な感覚とズレているから自身を面白いと思い込める。ゆえに芸人を志望してしまう。ズレているため、自らのセンスに絶望することもない。
そもそも“芸”と付くものには努力ではどうしようもできないことが多い。芸人を筆頭に、芸能、芸術、文芸も……最終的にはセンスが物を言う。
少し昔の話となるが、AKB48の高橋みなみは総選挙のたびに「努力は必ず報われる」とスピーチしていた。彼女の目標は中森明菜のような歌手になることだったが、今のところ全く達成されていない。あれだけ努力したたかみなですら、実現できないのが芸の世界の厳しさ。
小籔のアドバイス「エピソードトークは全部書き起こし、推敲したものを本番で話す」に耳貸さない若手芸人が売れるはずがない。
そして『笑イザップ』の出演陣は、なによりも若手芸人である自身に酔っていた。僕も美大生時代は酷い自己陶酔をしていたので気持ちは理解できる。「自分には他の人と違った才能がある」と盲信。時が経ってから気づいたが、他の人は芸に興味がないだけ。高い知性を持った人が努力すれば、すぐに追い越される。
自分を弁護したいわけではないがNSC、美大ともに勘違いを招きやすい環境ではある。身近には売れている芸人、アーティストがいる。そんな人と気兼ねなく交流すれば、何者でもない自分も同レベルだと過信。客観的視点を失っていく。
1人でも多くの志望者を欲するNSCと美大は若者に夢を見せる。しかし、夢が正夢となる若者はごくわずかしかない。この事実を若いうちに悟っている人が成功するのだろう。
話芸においてボケとは、質問に対する非常識な回答である。つまり、常識を知っていないとボケを生み出すことはできない。客観的な視点が欠けたまま、世界に面白さを提供することは難しい。空気を読んでいないようで、誰よりも読んでいるのが芸人。『笑イザップ』を観ていると、芸の世界の残酷さが透けてくる。
酷な現実を再確認すれば、良薬は口に苦しと効いてくる。表現欲の近くには、イタさがあることを忘れてはいけない。
●ヨシムラヒロム/1986年生まれ、東京出身。武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業。イラストレーター、コラムニスト、中野区観光大使。五反田のコワーキングスペースpaoで週一回開かれるイベント「微学校」の校長としても活動中。テレビっ子として育ち、ネットテレビっ子に成長した。著書に『美大生図鑑』(飛鳥新社)