「平成の即位で美智子さまは、宮殿の中庭で見守る参列者へのお披露目のため、重い装束を身につけたまま、正殿の周囲の廊下を100mほど歩いてから正殿松の間へと入られました。
しかし、今回は中庭に面した廊下へは回らず、側扉から松の間に入り、そのまま室内に置かれた御帳台に上るという、昭和以前の経路に変更されました。あくまで伝統に則った形とはいえますが、実際には雅子さまのご負担を小さくすることに繋がりました」(前出・皇室ジャーナリスト)
◆「映し鏡」の紀子さまと「自分の道」の雅子さま
国内外からの参列者を招いて即位を祝う祝宴「饗宴の儀」にも変化があった。
「饗宴の儀で両陛下は、各国要人に丁寧に対応されることになり、大変な体力を要します。平成の時は4日間連日で、昼夜合わせて計7回催されました。今回は計4回、しかも2日に1度ほどの頻度です。招待人数も平成の3400人に対し今回は2600人に縮減、さらに着席形式を2回、立食形式を2回という、負担軽減の策が取られました」(前出・宮内庁関係者)
そうした“雅子さまシフト”は実はこれまでも随所で見られてきた。上皇上皇后両陛下は平成時代、地方公務の際に2泊以上されることも多かったが、御代がわり後の地方公務は1泊など緩やかな日程がスタンダードになりつつある。それも雅子さまへのご負担を考慮されたものだろう。
「地方公務でも、無理な日程で体調を崩されて欠席が増えるより、1泊であってもお元気な雅子さまに来ていただいた方が現地の人々はうれしい。そうした国民の気持ちを、雅子さまはよく理解されているから、工夫されているのです。