「孤立の病」とも言われるような薬物依存症の患者を、隔離病院に入れては逆効果のような気がする。けれども、〈刑務所に入れても何の解決にならない〉というのはまったく同感で、少なくとも田代まさしの場合、これまで4回刑務所に入れてもまた薬物に手を出して逮捕されたわけだ。再発抑止としての刑罰の無力ぶりを証明してしまっている。日本の違法薬物使用者に対する厳罰主義は、初犯を減らす意味では有効だ。だが、高い再犯率を下げる効果はなさそうだ。
〈常習犯はリハビリ施設に入院させて離脱させるべき〉というのはその通りだろう。今回の田代まさしの場合、薬物依存症リハビリ施設のダルク(DARC)とつながっていながら逮捕に至ってしまったわけだが、それはダルクが無効なのではなく、彼と彼が通っていたダルク施設との相性がたまたま合わなかったのか、もっと他の支援ともつながるべきだったのではないか、と専門家たちは指摘している。
いずれにせよ、こうして違法薬物での逮捕ニュースから「依存とはどういうことか」と考えたり、「刑罰よりも治療が必要だ」と意見したりする人たちが増えてきていることは、喜ばしい話だと思う。ツイッターの中にこんな声もあった。
〈職場の休憩室で田代まさしまた捕まったよってみんなが笑ってることに嫌悪感を感じた てめえらはその苦しみわかんのかよ 自分が知らない苦しみは全部笑うような社会がイヤだわ〉
この感じ方、対象との距離の取り方、私は好きだ。法を犯した全くの他人の問題として遠ざけるのではなく、自分と地続きの存在としてその気持ちを想像してみるような関わり方。一見、安易なヒューマニズムとも思われそうだが、たぶんこの声はそうじゃない。人は一人で生きられないという大原則を、皮膚感覚で捉えている。
田代まさしのような苦しみを抱える人にとって必要なものは何か。この分野の研究と治療の第一人者といえる精神科医の松本俊彦氏の主著『薬物依存症』(ちくま新書)の中に、こんな一節がある。
〈薬物依存症から回復しやすい社会とは、「薬物がやめられない」と発言しても、辱められることも、コミュニティから排除されることもない社会です。それどころか、その発言を起点にして多くの援助者とつながり、様々な支援を受けることができる社会――つまり、安心して「やめられない」といえる社会ということになります〉
「やめられない」といえば、まさにその田代まさし自身が、薬物依存者の実態を知ってもらおうと、ここ数年、公の場であえて口にしてきた言葉だ。今年の7月に放送されたEテレの『バリバラ』では、こう語っていたそうだ。
「捕まる度にファンをがっかりさせた、家族に心配をかけた、もう二度とやってはいけないって強い意志を持つんだよ。それでもね、目の前に(クスリを)出されたり辛いことが起きると、大切なものよりも魔力が勝っちゃうんだ」
今回も残念ながら魔力が勝ってしまったわけだが、このような田代の正直な言動に勇気づけられてきた薬物依存者はたくさんいると聞く。そういう意味でも、田代まさしの次の復帰を受け入れることのできる社会であってほしい。おそらく実刑を食らうのだろうが、刑務所から出てきたら、講演でもユーチューブでもいい。また「啓蒙」活動に取り組むような、チャレンジングな彼の姿を見たい。
追記になるが、上で触れた『バリバラ』の放送動画。ネット上でいつでも見られるようになっていたのだが、説明なしで、削除されてしまった。一方で、同じNHKの『ハートネットTV』による、田代まさしがダルクを紹介する動画はネットに残っている。『バリバラ』がなぜ『ハートネットTV』のようにできないのかはわからないが、どちらも大変貴重な資料だ。こちらの復活も強く願う。