「愛子さまの小学校の運動会の組体操を見て涙ぐまれたり、東日本大震災の被災地訪問で目を赤くされたことなどがありました。しかし、雅子さまが涙を流されることを、よしとしない雰囲気があったこともたしかです。
何事も慎ましく、感情的にならずに穏やかでいることが皇室の伝統においては美徳とされてきました。特に伝統を重んじる皇室関係者の中からは、雅子さまの涙さえも、“感情のコントロールができていない”と指摘する声がありました。皇族は公的な存在なので、私的な感情を表に出すべきではないという考え方が根強く残っていたのです」(皇室ジャーナリスト)
そうした姿勢を徹底して貫いてこられたのが、ほかでもない美智子さまだった。公務や多くの人の前では、私の感情を表にされることはなく、目の前の国民にそっと寄り添われる。つい涙がこぼれそうな場面でも、美智子さまは何度となく堪えてこられたのだろう。
「雅子さまにとって、民間出身のお妃として唯一の先達であった美智子さまの存在は大きかったのではないでしょうか。そのほかの誰にも理解されない孤独や、“お手本”を踏襲しなければならないという重圧もあったはずです」(前出・皇室ジャーナリスト)
そうした過去を乗り越えてこられたがゆえに、今回、国民の大きな祝福を受け、涙を隠されようとしなかったのには、大きな意味がある。
「15年以上の療養生活の中で、“皇后が務まるだろうか”という不安にも苛まれてきたことでしょう。涙もろい、繊細な雅子さまだからこそ、心ない批判には人一倍悩まれてきたはずです。
しかし、国民祭典やパレードを通して、多くの国民の祝意を目の当たりにされ、ようやく皇后として国民に受け入れられた、認められたというお気持ちになられたのかもしれません。孤独感と重圧から解放され、こみ上げてきた思いを露わにし、そこでやっと雅子さまらしい涙を見せられたんです」(雅子さまの知人)
雅子さま流の新時代が幕を開けた。
※女性セブン2019年11月28日号