「われわれの年代というのは、戦争を経験し、敗戦の屈辱をなめて、早く米軍を返して独立国家を回復しようという一念がありました。そして政界に入り、あるいは学界に入り、財界に入り、文学界に入って一生懸命、努力しあった。
ところが、今の政治家たちは、私たちからいわせれば実務的優等生で、臨床的対応はやっているけれども病理学を知らない人が多い。それだと結局、官僚的優等生になってしまう。先輩がいったことや前の法制局長官がいったことを遵守していかなければ国の秩序が乱れてしまう、自分の地位が危なくなってしまうという考えが先行する。
そして、戦後50年経って冷戦が終わり、各国がソ連、アメリカの陰でうずくまっているのではだめだと、おのれのアイデンティティを回復しようとし始めた。その自覚の中で日本だけが漂流してきた。国民のほうは、少しずつ国家というものに目覚めてきていますけどね」(2004年1月16日号、石原慎太郎氏との対談)
◆冷戦終結を持ち掛けた
総理時代の中曽根氏を、官房副長官として支えた山崎拓・元自民党副総裁(82)は、中曽根外交が世界を動かしたと証言する。
「1985年5月のドイツ・ボンサミットで、中曽根さんとレーガン大統領の首脳会談が行なわれました。そのとき中曽根さんは、レーガン大統領に冷戦解消を持ち掛けたのです。具体的には、南北朝鮮の38度線と東西ドイツのヨーロッパフロント(ベルリンの壁)を国交正常化し、そのための政策として“クロス承認”(タスキ掛け承認)を行なおうと。つまり、韓国とソ連、中国、北朝鮮と米国、日本がそれぞれ国交正常化するというものです。
中曽根さんが持ち掛けると、レーガン大統領はそんなことは想定していなかったとして、いったん別室に持ち帰った。30分後に首脳会談が再開し、その冒頭にレーガン大統領は、『中曽根首相の提案を了とする』と述べました。これ以降、冷戦解消に向けて動き出した。冷戦終結は、そもそも中曽根さんの提案から始まったと言って間違いではないと思います」