“気遣いの人”である雅子さまは、同時に、“努力の人”でもある。
「雅子さまは療養生活に入られてから、年明けに行われる『歌会始の儀』を欠席されていました。しかし、天皇陛下の出したお題に沿って詠んで届ける『月次の和歌』は療養中でも毎月提出されていたそうです。月次の和歌は考え方やものの見方を陛下が把握するもので、雅子さまはその重要性を理解されていたのでしょう。そうした努力はこれまであまり公にされていません。
療養中で時に批判を浴びながらでも陰ながら努力を続けられる姿勢が、いまのご活躍の下地になっていると思います」(別の宮内庁関係者)
そして、美智子さまはそうした雅子さまの積み重ねを静かに評価されていたという。
「雅子さまの勤勉さを、美智子さまは十二分に理解されていたと思います。美智子さまは雅子さまに自らの後継者として高い期待を寄せられ、雅子さまもその期待を感じられていたはずです。だからこそ、御代がわりを経たいまも、雅子さまは感謝の意味も込めて、美智子さまへのお心遣いを欠かさないのではないでしょうか」(前出・別の宮内庁関係者)
互いを思いやるおふたりの関係は、いまも続いている。
※女性セブン2020年3月12日号