2007年、秋篠宮妃紀子さまに付き添われ、学習院女子高等科・中等科の入学式に出席される眞子さまと佳子さま(時事通信フォト)
いまや信次さんのような行為は笑われてしまうかもしれない。しかし眞子さまの萌え化というムーブメントは当時の大手マスコミ各社に取り上げられたほどである。課金、ステマ、投げ銭、マネタイズ ―― なんでもかんでも金の話ばかりのネット空間へと変わってしまうギリギリ前の話である。もちろん当時もネットビジネスは跋扈していたが、なんでもかんでも金というわけでもなく、無償の「大好き」に全力を注ぐネット民がいた。彼らが日本のネット文化、ネットミームを構築したと言っても過言ではない。「ネタ」の通じづらくなった現在となっては信次さんのような古参を「キモい」と笑う輩もいるだろうが、日本のネットを下支えしたのはその「キモい」無名の創作者たちである。
眞子さまが多くのネット民に愛されていた事実は残ってほしい
「いまの眞子さまを見ると辛いね。(結婚をめぐって婚約者が)あんな風に叩かれるなんて思わなかった。もちろん全部あの男が悪いんだけど」
遥かなる時を経て、いまや眞子さまを取り巻く空気は様変わりしてしまった。それどころか、秋篠宮家そのものに対しての厳しい書き込みも見受けられる。
「あのときは皇太子夫婦(当時)と愛子さまは人気なかった。愛子さまを暴君に見立て、眞子さまや佳子さまがそれに耐えるみたいな構図を描く同人誌だってあった。いまや扱いは逆だもんね」
本題ではないので皇室問題は端折るが、冒頭で信次さんの言った通り、時の流れは残酷だ。ちなみに佳子さまは “デコリンペン”(幼少期の髪型と広いおでこから)と呼ばれ、ご成長後は眞子さま以上の人気者となったが、信次さん曰く”マコリンペン”の「萌え」とはちょっと違うとのこと。確かに、佳子さま人気の本格化はむしろ2010年代に入ってから、古いネットミームとしての皇族のアイドル化は眞子さまに尽きる。
「とにかく眞子さまが多くのネット民に愛されたことは事実だし、その事実だけは残ってほしい」
と願う信次さん。日本におけるインターネットの歴史は30年余り、その間に多くのネットミームが生まれては消えた。時の流れは本当に早くて残酷で、当時のネット民は中高年となり、21世紀のネットキッズに翻弄される立場となった。「感動した!」というアスキーアート(文字や記号を使って描かれた絵)で持て囃された小泉純一郎は自由化と派遣労働を推し進めたとして嫌われ、そのアスキーアートそのものもスマホの普及によって廃れた。ガラクタロボット「先行者」(実はなかなかの技術)を作っていたはずの中国は、いまや日本最大の驚異となり、日本経済はその中国に頼らなければ成り立たないのが現実だ。
ニセモノまみれの石景山遊楽園の中国が、あんなに洗練された艦船擬人化美少女キャラクターを操るゲーム『アズールレーン』を作れるようになるなんて、当時の信次さんも筆者も考えられなかった。先に『艦これ』があるのは百も承知だが、昔の中国の模倣とはまた違う、秀逸なケレン味だ。中国なんて、上から目線で生暖かく見守るような相手だったはずなのに ―― ネットの変遷といえば、ネット民が「お前ら」と言わなくなったのはいつからだろう。言ったとしても、従来の「言ってる自分も同類なんだけどな」という連帯の意味合いは薄れた。そこに自分は含まれていない。他者と自分を切り離し、冷笑、嘲笑、侮蔑のマウントの意味合いでしかない「お前ら」だ。
「俺たちの眞子さま」の「俺たち」もそうだろうか、仲間意識が先ではなく、いまや他者を排除する前提の「俺たち」だ。なんて書いている時点で、筆者もインターネット老人会の一員なのだろう。
「でも本当に大丈夫? マコリンペンのこと書いて。いまはネタとか通じないし」
信次さんによればネットは窮屈になったという。確かに、あの当時ほどには「ネタ」で済まなくなってしまったし、ネットミームの通じない「普通の人」がスマホの普及によって大挙して押し寄せた。裾野が広がった分、デスクトップPCにブラウザを駆使する信次さんのような古参のネットユーザーには居心地が悪いのかもしれない。