実は私、駆け出しの昭和47、48年頃、師匠の塚田茂(日劇の演出家でもあってクレージーキャッツ、ドリフターズの舞台演出家)に言われ、『全員集合』に修業の為預けられ、いかりや長介の笑いへのあまりにきびしいこだわりに逃げ出した過去がある。『全員集合』は稽古をして作りあげていく笑いなのだ。
『全員集合』の絶対的な親分いかりやが皆に声を掛けるスタイルと違って、ひょうきん族は「族」というくらいで出演者もディレクターも作家も素人も皆が出ていってぶち壊すドキュメント的な笑いなのだ。表でも裏でも総て見せるスタイルとおしゃれな音楽が若者たちの心をつかんだ。
ついに欽ちゃん以来の悲願である『全員集合』に勝つ日を迎えるのだが、ビートたけしもさんまもスタッフも意外と淡々としたものだった。どう考えてもあちら(『全員集合』)が横綱であることは“笑い”をやっている者としてわかっていたからである。そっと逃げ出してから10年、やっと数字で恩返しができたなと思った。
「仁義なき土8戦争」、視聴率で勝つことが互いへのリスペクト、恩返しなのだ。私は「強きを助け、弱きをくじく」為、「タケちゃんマン」の台本を書きつづけた。そしてドリフは大エースふたりだけにしぼり込み、昭和61年『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』を開始。これがまたバカうけだった。長い長い闘いだった。
※週刊ポスト2021年6月4日号