「国家ビジョンが見えない日本人」への危機意識
安全保障も国士たる石原氏の主戦場だった。1989年にはソニーの盛田昭夫会長(当時)との共著『「NO」と言える日本』において、日本人が自己を主張して、対米従属から脱却することを訴えた。
2003年のイラク戦争時、米ブッシュ大統領の求めに応じて小泉純一郎首相(当時)が自衛隊を派兵した。この時、「人命は尊いから反対する」との声が世にあふれた。
だが、こうした考えは危険ではないか。この先、中国や北朝鮮が日本人の生命と領土を危険に陥れた際、イラク問題の構え方によってアメリカが「米国人の人命尊重」との考えで日本の面倒を見なくなるのではないか。その時、日本は単独で危機に対処できるのか──。
そう主張する石原氏は、国を愛する同志・中曽根康弘元首相との対談(週刊ポスト2004年1月16日号掲載)でこう語った。
「だったら日本は完全な自衛軍事国家になって、軍事的にアメリカから独立する、積極的防衛で領土も領海も領空も守るということまで論じてもいい」
日米安保はまやかしと言い続けた石原氏は、平和ボケした日本人の目を覚ますため、時にはこんな過激な発言をした。
「僕は今、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のミサイル・テポドンが日本に落ちればいいと思っている。どこでもいい。なんなら、東京の僕の家でもいいよ。そうしなければ日本人は、アメリカ信仰から目覚めないよ。日米安保でアメリカが必ず日本を守ってくれるなんて幻想なんだ」(1999年1月15・22日号掲載。インタビュアー・伊藤博敏氏)
対米独立を訴える石原氏が国家戦略の中心に据えたのが、日本国憲法だ。
護憲、改憲、解釈改憲など憲法に対する意見が分かれるなかで、「現憲法は破棄した方がいいんです。破棄というと乱暴そうだけど、これはいかん、直そうということになったら一応、憲法そのものを否定する」(2000年1月14・21日号掲載)が石原氏の持論だった。