石田との結婚当初、松原さんは夫の恋愛に寛大だった。彼女の父は京都で活躍した時代劇俳優で、常に“二号さん”がいて祇園での金遣いが派手だった。そんな環境で育ったからか“役者は浮気をするもの”で、石田と長谷川理恵の不倫騒動でも「役者の女房ですから」と毅然とした態度を貫いた。だが、10年ほど前から松原さんは徐々に孤独感を強めていたようだ。前出の松原さんの知人が言う。
「すみれさんが2011年にデビュー。芸能活動が軌道にのったときは本当に喜んでいました。でも、日本での活動が本格化して以降、ひとりきりの時間が増えた。ちょうどその頃、石田さんと理子さんの間にお子さんが生まれました。
“石田ファミリー”がますます注目されるようになり、理子さんが橋渡しをしてすみれさんと石田さんの共演も増えました。理子さんのSNSにはすみれさんやいしだ壱成さんも交えた“石田家”の家族団らん写真もアップされるなど話題になっていましたよね。
松原さんもそんな“石田家”をまぶしくもうれしく感じていたようです。そもそも松原さん自身が、6人きょうだいということもあり、家族の団らんに接してきた人。だから壱成さんの母親代わりとして芸能活動をサポートすることも厭わなかった。何よりも家族を大切にする人だけに、“ファミリー”を切り盛りする理子さんを見て、たくましく感じたはずです。
ただ、海の向こうから毎日のように更新される“家族写真”が、ハワイで孤独を深める彼女にはつらく感じるときがなかったかといえばわかりません。この頃は、すみれさんが久しぶりにハワイに帰ってきても、口論になることが少なくなかったようです」
2016年には、松原さんが自殺未遂をしたという情報もあった。当時、松原さんはすみれとけんかし、「私なんか死んだらいいんだわ!」と自暴自棄な発言をしたとも報じられた。
2度の離婚、金銭面での不安、子供の巣立ち──異国でひとりぼっちの彼女は気づけば、理想の家族とは程遠い現状に苦しんでいたのかもしれない。ここ5年は精神状態が不安定になってアルコールと精神安定剤に頼るようになっていたようだ。マンションの別の住人も言う。
「マンション内でも松原さんの不安定さを知る住人はいたようです。警備員にも周知されていたとか……ご家族とともに長らく闘ってきた彼女が亡くなったことは、悲しみしかありません」
11月初旬、息子の達也さんは、穏やかにこう答えた。
「母はずっと病気をしていたんだ。入院していたこともあって、ずっと苦しんでいた。でもいまはもっと楽なところに行ったんだと思う……。だから私もこうして、普通に暮らせるようになりました」
12月にもすみれは第二の故郷であるハワイに飛び、最愛の母と再会する予定だ。
※女性セブン2022年12月8日号