「寄せ鍋」の国ニッポン
しかし、この『逆説』シリーズの愛読者なら、歴史学者が「合理的に説明するのは難しい」と嘆く問題も容易に説明できることをご存じだろう。「人間が不合理に動くときは、その背景に宗教がある」という法則さえ知っていれば、この問題も簡単に説明できる。
たとえば、江戸時代の日本にイタリア人のキリスト教宣教師ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッチがやってきた。日本にキリスト教徒が「侵入」すれば過酷な拷問によって棄教を迫られ、拒否すれば処刑される。それは周知の事実であった。そんな国へ頼まれもせずにわざわざ行くことは、人間にとってもっとも大切な自己の生命をないがしろにする行為である。すなわち、「合理的に説明するのは難しい」。しかし、シドッチがキリスト教の宣教師であり、キリスト教とはどのような教えか基本的知識さえあれば、彼がなぜ合理的に考えれば「愚行」としか言えない行動に出たか説明できる。神の教えを広めるのは神父としての使命であり、死を恐れてはならないからだ。
また江戸時代の多くの武士は、黒船でやってきた西洋人が火縄銃とくらべて格段に性能の優れたライフル銃を使うのを見ても、なかなかそれを採用しようとはしなかった。なぜそんな中学生でもわかる理屈がわからなかったのかを「合理的に説明することは難しい」。しかし、江戸時代の武士は基本的に朱子学(儒教)という宗教の信者であり、祖法(先祖の決めたルール)はみだりに変えてはならないという信仰を持っていたという基本知識さえあれば、この問題も簡単に説明できる。
同じ幕末に日本と長い間友好関係にあったオランダが「鎖国は危険、開国すべきだ」と国王の名をもって勧告してくれたときも幕府はその勧告を謝絶というか門前払いにしたのだが、そのオランダ国への返書のなかにも「祖法は変えられない」という文言がちゃんとある。にもかかわらず、これまでの日本の歴史教科書にはその肝心なキーワード「祖法」がまったく載せられていなかった。歴史学界あるいは多くの歴史学者が宗教を無視して歴史を分析し、その宗教を無視することが科学的だという愚劣としか言いようのない考え方にとりつかれているからである。
種子島に鉄砲が伝来したとき多くの日本人がそれに飛びついたのに、逆にライフル銃を見たときなぜ多くの日本人は無視しようとしたのか? 江戸時代の最初に、徳川家康が儒教を武士の基本教養にしたからである。そして日本の近代化、さらには中国・朝鮮の近代化を徹底的に妨げたのが、この「祖法」である。
残念ながら、宗教を徹底的に無視する日本の歴史学界はそれがわかっていない。だから、明治になって岩倉具視を団長とする欧米使節団がなぜ一年十か月あまりもかけて洋行していたのかも「合理的に説明することは難しい」。しかし「人間が不合理に動くときは、その背景に宗教がある」という法則を知っており、時代時代を動かした宗教の基本的知識さえあれば、容易に説明がつく。岩倉を朱子学の呪縛から解き放つためである。
この「岩倉問題」について、誇張だと思った人、あるいは素人がなにを言うかと思った歴史学者の先生方、そういう方々には、『コミック版 逆説の日本史 幕末維新編』(小学館刊)を読んでいただきたい。別にぜひとも金を出して買えとは言わないが、立ち読みでは無く、全部を読んでいただきたい。そうすれば、私の言うことが誇張でもなんでも無く、歴史学者の先生方も含めて「自分がいままでいかに歴史を知らなかったか」という冷厳なる事実に気がつくはずである。
ただ、日本史が他の世界史にくらべてわかりにくい点はある。西洋史ならばギリシア以前はともかくそれ以後はキリスト教を押さえておけばいいし、中国史、朝鮮史も基本は儒教でバリエーションとしての朱子学を学べばいい、中東史ならイスラム教を知っていれば大丈夫だ。しかし、日本は「寄せ鍋」の国だから難しい。