日赤名誉社長の近衛忠てる(てるは火ヘンに軍)氏(時事通信フォト)
「陛下の近くをお衛りする」
近衞家は、九条家、二条家、一条家、鷹司家とともに「五摂家」と呼ばれた。五摂家は天皇の側近ともいえる摂政・関白の地位を回り持ちで担い、摂政・関白制度廃止後も、公家華族の筆頭の地位にあった。
「明治天皇の妻である昭憲皇后は一条家の出身で、大正天皇の妻である貞明皇后は九条家の出身。五摂家が成立した鎌倉時代以来、天皇家の配偶者にふさわしいお家柄として連綿と続いてきたのです」(前出・皇室記者)
五摂家のうち近衞家、一条家、鷹司家は、江戸時代に男性皇族を養子として迎え入れたことがあり、「皇別摂家」とも呼ばれていた。
「三家ともすでに本家は男系の血筋が断絶していますが、分家では続いているところもあります。近衞家もそのうちの1つで、分家ではいまも続いています。皇別摂家の子息は男性天皇の血を継ぐ『男系男子』であり、いわゆる天皇家の“血のスペア”としての役割を担ってきたともいえます。旧宮家の男子よりも、皇別摂家の男子の方が皇室に近いと主張する人もいます」(前出・宮内庁関係者)
忠てる氏は現在の近衞家の当主で、1966年、昭和天皇の弟である三笠宮崇仁親王の長女・やす子内親王(『やす』はうかんむりに心に用)と結婚した。
「華やかな家族関係が目を引きますが、忠てるさん自身は実務志向の人で、叩き上げとして現在の日赤を形作った功労者です。妻は三笠宮家出身であり、日赤では名誉総裁を歴代皇后が務めていますから、忠てるさんと現在の皇室との縁は深い。2021年12月に皇居・宮殿で行われた愛子さまの成年祝いには、高円宮家、三笠宮家、黒田清子さん夫妻らとともに、忠てるさんも参加しています」(前出・宮内庁関係者)
忠てる氏の息子・忠大氏は、学習院高等科を卒業後、武蔵野美術大学に進み、NHKに入局。1996年に退職後は、会社を経営しながら、日本の文化を世界に発信する仕事に携わる。
一方で皇室との結びつきも強く、旧華族である縁も手伝って、毎年1月に皇居・宮殿で行われる、陛下と皇族方らがお題に沿った短歌を披露される「歌会始の儀」の講師を現在に至るまで務める。講師とは、両陛下の正面に座り、お題、預選者の氏名、出身地等を述べ、歌を各句に区切って節を付けずに読み上げる役だ。また、2004年に結婚した妻は、旧宮家である久邇家の出身である。
忠大氏にも、近衞家の精神は受け継がれている。雑誌『セオリー』(2009年9月号)の「名家・名門の秘密」特集では、近衞家の「近衞」とは「陛下の近くをお衞りする」という意味だと教えられたと振り返り、次のように語っている。
《母は臣籍降嫁して皇室の外に出た者として、日頃から実の父母である三笠宮殿下、妃殿下に対して敬語を遣うなど、僕が幼い頃から宮家に対するスタンスの見本を示してくれました。僕も自然とそれを身につけてきたので、陰ながらお側に仕えているような感覚もあります》
妻との間には2男1女。愛子さまと“お似合い”だと取り沙汰されているのは長男で、前述の通り3学年下にあたる。忠大氏に、愛子さまと子息の関係について尋ねると、「(愛子さまとの面識は)ないです」としたうえで、こう答えるのだった。
「突拍子もないお話ですね。特にお話しすることはありません。そもそも親戚ですし、だいぶ年も離れていますよ」