渡哲也一覧/4ページ
【渡哲也】に関するニュースを集めたページです。

紫綬褒章受章の真田広之、取材現場で漂わせる「色気」
「“え、自分でいいんですか”というのが、まず最初で」と笑顔で語ったのは俳優の真田広之(58才)。このたび、秋の紫綬褒章を受章した。その真田の秘話について、コラムニストのペリー荻野さんが綴る。 * * * 学術研究や芸術文化の分野で活躍した人に贈られる紫綬褒章に小説家の林真理子、将棋の羽生善治、劇作家のケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)らとともに今年、俳優の真田広之が選ばれた。ヒゲがあろうが、眼鏡をかけていようが、ずっと「若手」のような印象を持っていたが、いまや真田は堂々のベテラン俳優なのだと改めて気づかされた思いである。 1980年代には、映画『里見八犬伝』やドラマ『影の軍団』シリーズで山野を駆け抜け、木につるされ、水に飛び込むのも当たり前。平地にいたためしがないアクションスターとして活躍、1990年代には、NHK大河ドラマ『太平記』に足利尊氏役で主演、ドラマ『高校教師』では教え子との純愛に殉じて(?)話題となった。私も取材経験があるが、その第一印象は「めちゃくちゃ色気がある」俳優だった。色気といっても、自らアピールするとか語るわけではなく、そこはかとなく漂うもの。かつて『anan』の「好きな男」の第1位になったというのも納得である。 しかも、私はその手の甲に小さな傷をいくつか見つけたのである。そのとき、真田は『新・半七捕物帳』というNHK時代劇に主演、十手をもって戦うシーンを撮影していたのだった。短い十手で、長い刀を持つ侍と戦ったりするのは、とても不利だし、難しい。もちろん、長年のキャリアがある真田は、ある程度距離を置き、刀を避けてリアルに戦っているように見せる技術はあるのだが、あえてそれをせず、自分の手にあたるくらい近づいて戦ったのだ。 ちなみにこのドラマの主題歌は奥田民生。現代の東京に「半七」姿の真田が立つモノクロの写真が連続するタイトルはとてもカッコいい。紫綬褒章記念にぜひ、再放送してもらいたいものである。 そんな中、やっぱり真田の受賞を一番喜んでいるのは、京都の時代劇関係者だろう。ご本人も受賞の言葉の中で自分のキャリアを「子役時代から」と語っていたが、真田は子役であった。時代劇にも縁が深く、かの『水戸黄門』にも出演している。そのときの共演者は渡哲也だった。それから50年近くたった今でも京都の撮影所には真田が「ひろくん」と呼ばれていた頃を知るスタッフがいて、その活躍を心から応援している。多くの子役で出入りする現場でも「ひろくん」は、当時から人気者だったのである。 会見の中では、日本のよさを伝える作品のプロデューサーとしての仕事をしたいと語っていた。後輩たちが世界的に活躍できるよう力にもなりたいという。英語圏の仕事に飛び込み、キャリアを積んだ「国際派俳優」らしい言葉だ。しかし、それではますます日本での俳優業が遠のくのではないかと心配もしたくなる。 受賞も素晴らしいし、プロデュースも期待したいが、日本各地の採石場のような荒野を元気よく馬で駆け回ったり、落ち葉の中から突然姿を現す忍者と格闘する真田もまた見たい。もう一度、愛に殉じてくれてもいい。たまには「国内派俳優」にも戻ってほしいものだ。
2018.11.07 07:00
NEWSポストセブン

自宅リハビリの渡哲也 常に「活躍」求められるスターの宿命
自宅でリハビリ中であることが明らかになった俳優の渡哲也(76才)。 1991年に直腸がんの手術を受け、人工肛門をつけることとなった渡。その後も、肺気腫やぜんそくなど、呼吸器系の持病に悩まされてきた。そして、2015年6月に急性心筋梗塞で倒れ、緊急手術を受けた後は、仕事もセーブし、リハビリの生活を続けているという。 11月1日に配信されたNEWSポストセブンの記事は渡の病状について詳報。渡は毎年秋に宝酒造『松竹梅』のCMを撮影しているとのことで、リハビリ中だった昨年は吉永小百合とともに撮影。今年も撮影は行われたが、撮影後の取材はなく、体調が思わしくないようだ。また、関係者によると外出時は酸素吸入器を外せない状態だという。 懸命なリハビリを続けている渡。その様子にネット上では、「西部警察の大門団長からの大好きな俳優さんです。早く元気になって裕次郎さんとの夢でもあった映画を作って下さい」「団長の松竹梅がまた見たいから元気になって下さい!」 と、いち早く仕事に本格復帰し、また演技を見たいなどという意見がある一方で、「俳優として頑張って頂きたい気持ちもありますが、お身体を大事にしていただきたいです」「仕事をすることがモチベーションなのかもしれないけど、体調が優れないなら引退を考えることも必要だと思います」 など、無理して仕事復帰するよりも、ゆっくりと過ごす選択をしたほうがいいのではないかという意見も多いのだ。 NEWSポストセブンは10月に、女優の市原悦子(82才)が2年前に自己免疫性脊髄炎で倒れて以来、自宅で療養中であることを報じている。市原の場合、自宅に番組スタッフが訪れ、ナレーションなどの収録をしているという。 自宅療養中であるにもかかわらず、仕事を続ける渡や市原について、芸能界に詳しいフリーライターの大塚ナギサ氏はこう話す。「渡さんも市原さんも昭和の時代から今まで、芸能界の第一線で活躍してきた名優です。その存在感は圧倒的であり、代わりになる人などいないのは当然のこと。可能であれば出演してほしいと考えるスタッフは今なお多いと思います。そして、おふたりとも仕事に対する強いこだわりもあって、ファンや関係者の期待に応えたいという思いも強いのでしょう。周囲からはもう引退してほしいという声もあるかもしれませんが、ご本人たちは生涯役者であり続けたいという気持ちが強いのかもしれませんね」 市原のニュースに対してもネットでは、「無理せずに、頑張って欲しいです。あの独特なお声が大好き」「魂のこもったナレーション。無理せずに続けてください」「あの何とも言えない優しい声。他に代役が浮かばない女優さん。元気になって、また活躍してほしい」 などの意見が寄せられている。やはりその独特な存在感、個性に惹かれているというネットユーザーが多く、市原の活躍を再び目にすることへの期待も大きいのだ。「体調を第一に」と思うファンが多いのはもちろんだが、老いてもなお活躍が求められるのが名優というもの。それはスターとしての宿命なのかもしれない。
2018.11.05 07:00
NEWSポストセブン

リハビリ中の渡哲也 亡き弟との絆と闘病支える一人息子
昨年9月から一向に姿を見せない渡哲也(76才)。石原プロが集結した、今年7月に営まれた石原裕次郎さんの三十二回忌法要も欠席だった。今年9月では毎年恒例となっている宝酒造『松竹梅』のCM撮影を行ったが、昨年と異なり撮影後のスポーツ紙の取材はなかったという。 渡は1991年に直腸がんが見つかり、手術後、人工肛門をつけることを余儀なくされた。その後も肺気腫やぜんそくといった呼吸器系の持病に苦しめられてきた。さらに、2015年6月には急性心筋梗塞で倒れ、緊急手術をしている。「実際には外出時も酸素吸入器を外せない状態です。今年も壮絶な闘病の中でのCM撮影だったそうです」(広告関係者) 最近は近所を歩くこともままならず、自宅療養が続いているようだ。 これまで渡は、体調が心配される中でもたびたび復帰を果たしてきた。昨年4月には、周囲が「体力的に大丈夫なのか」と心配する中、石原プロの「相談取締役」として経営陣に復帰した。1か月前の3月に実弟である渡瀬恒彦さん(享年72)が亡くなったことが理由の1つだったという。「渡瀬さんは2015年秋に胆のうがんが見つかりましたが、がんは小康状態。亡くなったきっかけは『肺気腫』でした。奇しくも、渡さんも同じ病気で苦しみ、兄弟の母・雅子さんもかつて肺炎で亡くなっている。実は、それまでは滅多にしなかったのに、闘病が始まってからお互いの家を行き来するなど、頻繁に連絡を取り合っていました」(渡瀬さんを知る関係者) 渡瀬さんはスペシャルドラマ『そして誰もいなくなった』(テレビ朝日系)で、末期の肺がんに侵された狂気の犯人役を演じきり、その放送の11日前に亡くなった。「渡さんは、渡瀬さんと“どちらが先に逝っても、派手なお別れ会はやめておこう”と約束したそうです。また、渡瀬さんが死の直前まで次の撮影を考えていたことに、“同じ役者としての絆を感じた”と深い感銘を漏らしていたそうです」(前出・関係者) 渡が仕事への情熱を燃やし続けるのには、さらに「もう1つの理由」があるという。渡は1971年に俊子夫人とハワイで2人だけで結婚式を挙げ、その後、息子が誕生した。「息子さんは小学校から両親と同じ青山学院で、大学卒業後は芸能界には進まず、大手ゼネコンに就職したと聞いています。渡さんの病状が心配だからか、4年ほど前に、渡さんの家の近くに引っ越してきました」(近隣住民) 息子が住むのは、実家から歩いて2分程度のところにある一戸建てだという。「2014年に渡さんは自宅を全面バリアフリーにリフォームしました。工事に際して渡さんは近くの一戸建てを“仮住まい”にしていましたが、そのリフォームを仕切っていたのが息子さんでした。工事が終わると渡さんは元の自宅に戻りましたが、仮住まいにしていた家を建てかえて、そのまま彼が住んでいるそうです」(渡の知人) 親孝行な一人息子に闘病を支えられている渡。だが、周囲にはこんなことを漏らしているという。「息子さんはもう40代中盤になっていますが、まだ結婚していないようなんです。だから渡さんは周囲に“早く嫁さんをもらってほしい”“孫を見たい”とよくこぼしているそうです」(芸能関係者) 2015年の国勢調査によると、40~44才の男性の未婚率は29.3%で、45~49才男性でも未婚率は25.2%にのぼる。40代男性の4人に1人が結婚していないのが現状だ。渡のように、老後になっても“未婚の子供”に頭を悩ませる親は少なくない。「渡さんは息子さんのことを大事に育ててきた。一般社会で生きることを選んだ彼に迷惑をかけまいと、一切、息子さんの情報は明かしてこなかった。彼が結婚しない理由はわかりませんけど、いちばんの親孝行は孫の顔を見せることですからね。渡さんも“孫を見るまでは”という気持ちで頑張っているんだと思います」(前出・渡の知人) 誰にも泣き言を言わず、渡は厳しいリハビリを続ける。※女性セブン2018年11月15日号
2018.11.02 07:00
女性セブン

酸素吸入器外せない状態の渡哲也、壮絶闘病の中CM撮影
「渡さんは毎年秋に宝酒造『松竹梅』のCM撮影をしており、そのCMは年末年始に流れる冬の風物詩です。今年も9月に撮影が行われたそうですが、昨年と違ってスポーツ紙の取材はなかったようです。渡さんは昨年のCM撮影から表舞台に出ていないですし、健康状態がとても心配です。それほど周囲に見られたくない理由があったのでしょうか…」(テレビ局関係者) CM撮影から1か月ほどたった10月中旬、渡哲也(76才)は都心のある病院を訪れた。多くの有名人や政治家が利用することで知られる病院だ。「呼吸器内科など複数の科で検査を受けたと聞きました。入院ではなかったそうですが、気になります。それほど体調が思わしくないのかもしれません」(芸能関係者) 渡は1991年に直腸がんが見つかり、手術後、人工肛門をつけることを余儀なくされた。その後も肺気腫やぜんそくといった呼吸器系の持病に苦しめられてきた。「ドラマ出演は、2013年9月放送の『十津川警部』シリーズ(TBS系)にゲスト出演したのが最後。その作品はシリーズの第50作記念作品で、主演する弟・渡瀬恒彦さん(享年72)たっての頼みで出演に応じました。しかし、それ以来、俳優としては休業状態です」(前出・芸能関係者) 2015年6月には急性心筋梗塞で倒れ、緊急手術。それでも『松竹梅』のCM出演は欠かさず、昨年秋には吉永小百合(73才)と撮影に臨んだ。その時、渡は自身のリハビリについてこう語っていた。《食欲はあります。週に2~3回、理学療法士に来ていただいています。ストレッチやスクワットをしたりエアロバイクに乗ったり、あとは自宅周辺を歩いたりしています》「しかし、実際には外出時も酸素吸入器を外せない状態です。今年も壮絶な闘病の中でのCM撮影だったそうです」(広告関係者) 最近は近所を歩くこともままならず、自宅療養が続いている。近隣住民が言う。「ご自宅にはいらっしゃると聞いていますが、渡さんのお姿はめったに見かけません。散歩もできていないのではないでしょうか。最近は、お抱えの運転手さんが後部座席を“空”にしたまま走っている姿ばかり見ます」 医療ガバナンス研究所の内科医・上昌広さんが渡の病状をこう推測する。「おそらく肺気腫が原因で、動くこともままならないのでしょう。肺気腫は常に息が苦しい状態なので、本当につらい。しかも渡さんは過去に心筋梗塞を患っていますから、さらに酸素濃度が不足する。何気ない日常生活の中でも、息切れしてしまって、仕事どころではありません」 常人であれば、動けない状態。それでも渡自身は仕事への意欲を失っていないという。「相変わらず、自宅で執念のリハビリをしているそうです。実はつい先日、久しぶりに理容室を訪れたとか。そこは長年通っている店で、いわば渡さんの“専属ヘアメーク”。数は少ないですが、外出の機会に備えてのものでしょう」(渡の知人)※女性セブン2018年11月15日号
2018.11.01 07:00
女性セブン

時代劇役者としての滝沢秀明 「経験と人脈」が今後の武器に
「タッキー&翼」の解散、そしてタレント活動からの年内引退を発表した滝沢秀明(36才)。今後はプロデュース業に専念するという。これまで俳優として多くの作品に出演してきたタッキーは、NHK大河ドラマ『義経』など時代劇への出演が実は多い。時代劇役者としての活動を振り返るとともに、それが今後のプロデュース業にどう活きてくるのか、時代劇研究家でコラムニストのペリー荻野さんが考察する。 * * * 滝沢秀明引退については、ジャニーズ事務所の後輩の育成に専念する覚悟だとか、後継者に指名されたとか、いろいろ言われているが、私は正しい選択だったと思う。 時代劇好きとしては、時代劇主演作も多い俳優の引退は正直残念だが、その芸能活動を見てみると、エンタメ作品の製作者には向いていることがわかる。一番の強みは「人脈を呼ぶ男」ということだ。 滝沢は、赤穂浪士の討ち入事件として有名な忠臣蔵をテーマにした1999年のNHK大河ドラマ『元禄繚乱』に吉良義周役で出演している。義周は、吉良上野介(石坂浩二)の養子で吉良家の跡取り。いわば主役の敵方だ。赤穂浪士に討ち入られたときには18歳で、そのシーンでは、赤穂方の最年少メンバー矢頭右衛門七と戦っている。その右衛門七役は、今井翼。このドラマでは「タッキー&翼」が、「タッキーVS翼」になっていたのだ。そしてこのドラマの主人公・大石内蔵助が、今は亡き中村勘三郎(当時は中村勘九郎)。歌舞伎界の超人気者と10代で出会っているのである。 その後、滝沢は、2005年には、大河ドラマ『義経』に主演している。1年間放送される大河ドラマに主演するということは、NHKの気鋭の演出家、脚本家とも深い縁ができるということである。脚本は金子成人、メイン演出家が黛りんたろう。共演には、義経に仕える武蔵坊弁慶の松平健、源頼朝の中井貴一、平清盛に渡哲也、藤原秀衡に高橋英樹など主役クラスがずらり。さらに義経の師匠のような存在の鞍馬山の修験者・鬼一法眼が美輪明宏! もう怖いものはありません!! こんな面々が当時史上最年少の22歳で主演したタッキーを支えたのである。最強の人脈ができたはずだ。 舞台公演『滝沢歌舞伎』は、この作品をきっかけに滝沢自らの発案で始まったという。20代前半でプロデュース能力を発揮、多くの先輩、後輩がこの公演に参加している。 また、これまで源平の戦場面や武勇伝などが中心になることが多かった『義経』で、舞や光の使い方などで独自の美しいシーンを作り出した演出家・黛りんたろうと滝沢は、NHK連続ドラマ『鼠、江戸を疾る』シリーズでもタッグを組む。 この作品については、このコラムでも取り上げたが、江戸の人気者、義賊の鼠小僧役の滝沢は、ポニーテールで顔の下半分を黒い布で覆い、ほとんど目だけしか見せない怪盗スタイル。わざわざ「隠す」ことで美形ぶりをアピールし、真夜中の屋根の上に月を背景にすらりと立ってみせるのだ。美しく撮りたい監督とそれに応える主役。こうした演出を肌で感じた経験が今後に活かされることは間違いない。そういえば、『鼠』シリーズには、レギュラーでジャニーズJr.の京本大我が出演。Hey!Say!JUMPの高木雄也がゲストになったこともある。 滝沢はこのシリーズで、傾斜もあり、滑りやすい屋根瓦の上を高速で走る技を会得している。引退後、この高速走り技も後輩に伝授するのか。演技の面での滝沢の「後継者」が早くも気になってくる。そして、ジャニー喜多川氏のようにマスコミに一切顔を出さない方針になるのか、演出家・プロデューサーとしてどんどんメディアに出てくるのか。滝沢の今後の露出方針も気になるところではある。
2018.09.23 16:00
NEWSポストセブン

『終わった人』舘ひろしが再注目 「浮世離れ感」に熱視線
定年退職した元銀行員役で映画『終わった人』に主演している舘ひろし(68)。その映画のPRもあって、今、バラエティーなどに引っ張りだこだ。そうした番組で舘が見せる素顔に視聴者も驚いている。コラムニストのペリー荻野さんがその魅力について解説する。 * * * 今、日本でいちばん幸せな俳優は、舘ひろしかもしれない。先週、主演作『終わった人』が公開。68歳にして主演映画が撮れるというのは、かの石原裕次郎もなしえなかったこと。俳優としてはそれだけでも十分幸せだと思うが、加えてその映画では妻が黒木瞳で、トキメキの相手が広末涼子と、男性ファンからすれば、こんな幸せはないだろうという顔ぶれである。 しかも、タイトルは切ないが、中身は観た人が前向きになれるコメディ。完成披露の会見映像などでは、観客の大拍手を受け、うれしいそうだったひろし。俳優にとって、作品を喜んでもらえることほど大きな幸せはないはずだ。 そんな中、映画の宣伝もあって、バラエティーにも多数出演していたひろしだが、そこで驚いたのは、世の中はこんなにも「舘ひろしの私生活」に興味があったのだということである。その追跡ぶりは、まさに「聞けるもんなら、今すぐ全部聞かなきゃ」という熱の入り方なのだ。 たとえば『誰だって波瀾爆笑』では、例によってこども時代からのひろしの歩みを紹介。名古屋の由緒ある病院の嫡男が上京後、突如としてリーゼントに黒ずくめのスタイルで大型バイクにまたがる日々がスタート。クールスから石原プロ入りして、装甲車も爆破もどんとこいの撮影を続けていく過程が詳しく語られた。そして番組ではふだん楽屋入りする際には、裸にバスローブ姿で、パンツはローブのポケットに入れていること。楽屋に「MYトースターとコーヒーメーカー」を持ち込んで、『超熟』6枚切り食パンにたっぷりとブルーベリーをのせて食す甘党であることなどを紹介。コンビニに行ったことがないというひろしに、「なんで行くの?」とスタッフのほうが逆質問されるシーンもあった。なんでって言われてもね…。 ひろしは、その数日後に放送された『メレンゲの気持ち』にもゲスト出演。「ドラマのセリフは全てカンペ」とか「家では皿洗い」「二十代から体形が変わらない」などという内容とともにバスローブ話とコンビニ話は再燃。「(コンビニに)傘が売ってるの?」と驚くひろしに、みんなが驚くという構図になった。 自宅の家具はアールデコ調で、いつも買う花はカサブランカ。そんなうちからバスローブで出てくるんですね。本人は、「どっちにしても衣装に着替えるんだからバスローブでいい」「蒸れるのが嫌だ」などと語っていたが、バスローブ出勤は、石原裕次郎、渡哲也の習慣を見習ったらしい。バスローブも「いただくんですよ」という。贈り物にバスローブ!? 誰から!? なんだかよくわからないが、この浮世離れした感覚こそが、「私生活を知りたい」という世間の欲求を呼び起こすもの。ひいてはひろしの幸せの源なのだ。 ちなみに筆者は、今から30年以上前、ひろしと仕事をしたことがあるが、当時から体形が変わっていないのも、甘党でスタッフみんなに甘いものを差し入れるというのも本当の話。映画スターの伝統を受け継ぐ男、ひろし。幸せな浮世離れ人生を歩み続けてもらいたいものだ。
2018.06.14 16:00
NEWSポストセブン

【平山周吉氏書評】梶芽衣子の「損を承知の生き方」
【書評】『真実』/梶芽衣子・著/文藝春秋/1350円+税【評者】平山周吉(雑文家)『女囚さそり』の孤高、『曽根崎心中』の一途、四十年も前のスクリーンと少しも変わらない、俗な世間を刺し殺すような視線がみなぎっている本である。梶芽衣子、七十歳の自伝は、「媚びない、めげない、挫けない」という信条そのままで齢を重ねた人の清々しさがある。ここまで損を承知の、ストイックな生き方を知ると、読む方が怖気づくほどだ。 梶芽衣子は最後の「撮影所育ち」の世代である。日活での同期には渡哲也がいた。渡は生意気と風評の立った梶を撮影所の食堂に呼び出し、説教をする。「お前な、女なんだから可愛いがられなきゃ駄目だ」。渡のやさしい忠告にも、ついつい言い返してしまう。「お上手をいうのが苦手な」江戸っ子娘は、「さそり」主演のオファーにも素っ気なかった。「女囚なんか嫌よ」と断る。もし引き受けるとしたら、「せりふを一言も発しない」というアイディアで演じていいのなら。梶の破天荒な演技プランが大ヒットを生み出す。当時はヒット作のシリーズ化が当り前。梶はそれにも肯(がえ)んじない。四作までで“勇退”する。「さそり」はもともと一本目だけで、結婚即引退のつもりだった。結婚を決めていた彼は、別れ際に言う。「誰とも結婚するな。死ぬまで仕事を辞めるな」。梶は「はい、わかりました」と請け合う。だからいまだに独身なのだ。芸能界に入る時に、父親が言い渡したのは、「最初に就いた仕事は貫け」だった。父の教えも守られてしまう。このアンバランスさは、素直さなのだろうか。 本書には共演した役者たちの素顔がたくさん詰まっている。渥美清、勝新太郎、若山富三郎、高倉健、辰巳柳太郎、古今亭志ん朝、三國連太郎……。誰もが梶の一筆書きで描かれる。裏方さんへの視線もやさしい。そして誰よりも尊敬する中村吉右衛門。テレビの「鬼平犯科帳」の撮影スケジュールを優先し、黒澤映画のオファーを二度も断っている。もったいない、なんて言ってはいけない。それが梶芽衣子の生き方なのだ。※週刊ポスト2018年4月27日号
2018.04.19 16:00
週刊ポスト

渡瀬恒彦さん「お別れ会はやらない」 兄・渡哲也との約束
「最期の病床の横にも『9係』の台本を置いてせりふを覚えていて、亡くなる前日まで打ち合わせしていました。激痛を伴う肺気腫を発症していても、現場に戻るつもりでした。それぐらい『9係』という作品を愛していたんです」(芸能関係者) 名優・渡瀬恒彦さん(享年72)が、3月14日、一周忌を迎えた。 最期の公の場となったのは、主演を務めるドラマ『警視庁捜査一課9係』(テレビ朝日系)の新シリーズの発表会見(昨年2月)だった。その直後に亡くなったので、4月からのオンエアーは、異例の「主演不在」で放送された。「渡瀬さんの体調を考慮して、ほとんど登場しない脚本で撮影が始まっていました。代わりに、部下の刑事役だった井ノ原快彦さん(41才)の出番を増やすことでカバーしました。渡瀬さんは病室のベッドで“井ノ原、大変だろうな”とずっと気にかけていました」(前出・芸能関係者) あれから1年。『9係』がこの4月にリニューアルして帰ってくる。渡瀬さんが演じた係長が異動になったので、9係は解散。しかし、警視総監の指示で新設された特別捜査班に元9係のメンバーが再結集するという設定だ。 主演を引き継ぐのは元部下の井ノ原。タイトルも『特捜9』と刷新された。「井ノ原さんが渡瀬さんに初めて会ったのは28才のとき。井ノ原さんは渡瀬さんのことを“父親のような存在”とよく言っていました。演技のことも、プライベートなことも、よく相談していたそうです。 渡瀬さんって、撮影現場ではものすごく怖いんです。“ちゃんとやれ!”ってよく怒鳴る。井ノ原さんもよく怒られたそうです。でも、その後に、“イノッチに怒鳴る人ってあんまりいないでしょ”って優しく話しかけるんです。そうやって、現場の士気を上げ、若手の成長も促していた。 渡瀬さんは“このドラマはイノッチの成長次第。あとは任せる”と公言していたので、井ノ原さんに跡を継いでもらって本望だと思います」(ドラマ関係者) 一周忌を迎えても渡瀬さんを送る「お別れ会」は開かれていない。あれだけ多くの芸能関係者に慕われた俳優にしては、珍しいことだ。「派手なことが嫌いな無骨な人でしたから、葬儀も本人の希望もあって近親者やごく近しい人だけの家族葬で営まれました。 最期の病室を見舞っていた兄の渡哲也さん(76才)も、渡瀬さんと同じ肺気腫と闘っていました。兄弟の母・雅子さんも肺炎で亡くなっているので、もともと呼吸器系に疾患を抱えやすい家系なのかもしれません。 兄弟で励まし合っていたのですが、その中で“どっちが先に逝ってもお互いに派手なお別れの会みたいなのはやめておこうな”と約束していたそうです」(前出・芸能関係者) 棺には渡瀬さんと家族の写真が納められたという。「病気になってから行った箱根旅行で撮った家族写真でした。それまでは俳優一筋で、そんな時間もありませんでしたから」(前出・芸能関係者)『9係』の後継ドラマ『特捜9』をいちばん楽しみにしているのは、渡瀬さんなのかもしれない。※女性セブン2018年3月29日・4月5日号
2018.03.17 16:00
女性セブン

内田有紀と天海祐希が超仲良し 加賀まりこが仲介した
お互いにドラマや映画にひっぱりだこの、内田有紀(42才)と天海祐希(50才)。お互い独身。巷でいうところの、奇跡のアラフォーとアラフィフの2人が意外にもプライベートで息がピッタリなんだとか。「多忙な合間をぬってしょっちゅう2人で食事に行って、盛り上がった時はカラオケに行くことも。女子トークにありがちな恋愛や仕事の話はまったくしないことも多く、“これおいしいね”とか、たわいない話でお酒も飲まずに5時間もおしゃべりしてるっていうんですから、よっぽど気が合うんでしょうね」(芸能関係者) 2人の出会いは約10年前。新春スペシャルドラマ『マグロ』(2007年1月、テレビ朝日系)で渡哲也演じるマグロ漁師の娘姉妹を演じた。「初めて出会ったのはロケ先の函館のホテル。天海さんは内田さんの“普通さ”に惹かれたそうです。内田さんはもともとトップアイドルで、天海さんも宝塚トップスター。だから、周囲にちやほやされながら、“普通”を保つことがいかに難しいかよくわかっています。信頼できる!とお互い直感したのでしょう。撮影が終わった後も、天海さんは内田さんにとって姉のような存在になって、お互いに相談するようになったそうです」(ドラマ関係者) 気の合う2人は、出会う前から同じ人を慕っていた。ともに「まり姉さん」と呼ぶ加賀まりこ(74才)だ。 内田がデビュー直後、演技という壁にぶつかったときに思い切って悩みをぶつけたのが加賀。当時の助言をきっかけに、女優という仕事に開眼した。離婚後の復帰に際しても、見守り続けてくれた母のような存在だ。 一方、天海は当時、加賀が連載していたエッセイの話を聞きたい!と時代劇の衣装を着たまま別スタジオで撮影していた加賀に声をかけると、面白がられて定期的に会うようになった。そんな加賀が、2人を引き合わせたという。「『マグロ』のロケに入る前に加賀さんが内田さんに連絡して、“天海さんはたぶん有紀ちゃんと気が合うよ。仲よくしてね”と伝えていたそうです。それから女子会が開かれるようになりました。2人で鮨店のカウンターで飲んでいるのを見かけたこともあります。加賀さんが加わって内田さんと天海さんに演技についてのアドバイスを求めることもあるそうですよ」(前出・芸能関係者) 豪華すぎる女子会だ! ※女性セブン2018年3月8日号
2018.02.28 07:00
女性セブン

柴俊夫が倉本聰氏の合宿で学んだ大切なこと
映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、『やすらぎの郷』に出演した柴俊夫が、30年以上前に倉本聰ドラマに出演したとき、倉本による合宿に参加した思い出について話した言葉を紹介する。 * * * 柴俊夫は1983年、渡哲也主演のテレビシリーズ『西部警察PART―III』に「タイショー」こと山県刑事役で出演した。「渡さんに『荒唐無稽の番組ですが、ひとつ協力してください』と言われて出ることにしました。 撮影初日から物凄い量の火薬が使われて運転したり拳銃を撃ったりするものだから、芝居どころではなかったです。僕はアクション俳優でないから、そういう現場ってあまり知らなかったんです。でも、こういう純粋に楽しませる作品というのも大事だと思って、楽しみました。 石原プロって体育会系のイメージがあるので、渡さんに『柴』とか『柴君』とか呼ばれるのかと思ったのですが、『柴さん』なんですよ。ですから、僕もたとえ年下でも出ている連中はみんな『さん』付けで呼びました。『舘さん』『峰さん』って」 倉本聰のドラマには1975年の『6羽のかもめ』(フジテレビ)や1982年の『君は海を見たか』(フジテレビ)などに出演した。「『君は海を見たか』では倉本先生が合宿をしたんです。ショーケンと僕と関根恵子(当時)と伊藤蘭とかを集めて。その時に自分たちでワンシーンの芝居を作るという課題を出されまして。 僕が居酒屋の主人をやってそこにショーケンと伊藤蘭が客で来るという設定で芝居をしました。全てその場のアドリブで。そういうことを通して、普段の日常をどう見つめ、それをどう表現するのか、その大切さを教えられた気がします。 ですから、よく西田敏行が山手線に乗って人間観察をしていると言いますが、僕も同じです。それを自分の芝居に引きつける技量が、西田はとてつもない」 倉本ドラマでは、最新作『やすらぎの郷』にも出演している。「大先輩ばかりの現場ですから、僕は絶対にセリフを間違えてはいけないと思って臨みました。ところが、皆さん『本当にシナリオ通りにやっているのかな』というくらい、それぞれに自分の間で、つっかえたりしながら演じている。セリフが出てこないんじゃないかと思うこともあるんですが、それがリアルに映るんですよね。僕はストレートに演じようと思ってやったのですが、ミッキー・カーチスさんとかがセリフにあるのか分からない感じでやっているのを見ると、やっぱり凄いですよね」 NHK大河ドラマをはじめ、テレビ時代劇で武将役を演じることも多く、武人としての迫力を巧みに表現してきた。「武将ってカッコ良いだけじゃダメなんですよね。美学を持っていないと。彼らは明日をも分からない命じゃないですか。その潔さを出したいと思っています。威張っているだけではなくて、癖といいますかね。そういうところに存在感を出したい。 僕は上手い役者にはなれません。存在感の役者になりたい。そのためには、人間としてのヘソがきちんと根本にあるように役を捉えないといけないんです。 ただ、今の現場はカット割が多いんで、計算ずくめの芝居になって存在感が消されちゃうんですよね。これも時流ですし、作品は監督のものなので仕方ないのですが──」●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。『週刊ポスト』での連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。■撮影/藤岡雅樹※週刊ポスト2018年1月12・19日号
2018.01.14 07:00
週刊ポスト

追悼2017 松方弘樹さん他、男性芸能人・選手たち
2017年を振り返れば、多くの人が旅立った。彼らの活躍や生き様は、私たちの目に、心にしっかりと刻まれている。今年、惜しくも世を去った男性芸能人、そしてスポーツ選手たちを紹介する。●渡瀬恒彦さん(俳優、享年72) 映画『殺し屋人別帳』(1970年)で銀幕デビュー。映画『事件』やドラマ『十津川警部シリーズ』(TBS系)、『おみやさん』(テレビ朝日系)などに出演しスターダムに。俳優・渡哲也は実兄。2015年に胆のうがんが発覚、通院しながら仕事に打ち込んだが今年3月14日に没した。●藤村俊二さん(タレント、享年82) テレビ『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(日本テレビ系)出演で脚光を浴び、『8時だョ! 全員集合』(同)では振付を担当。いつの間にか「ひょい」といなくなるので「おヒョイさん」と呼ばれ親しまれた。2015年に小脳出血で倒れた後、今年1月25日、心不全で死去。●平尾昌晃さん(作曲家、享年79) 1958年の歌手デビュー後、ミッキー・カーチス、山下敬二郎とともに「ロカビリー三人男」として一世を風靡。1966年に作曲家に転身、『瀬戸の花嫁』『霧の摩周湖』など数々のヒット曲を手がけた。2年前に肺がんを発症後、入退院を繰り返したが、今年7月21日に帰らぬ人となった。●砂川啓介さん(俳優・司会者、享年80) 1961年に『うたのえほん』(NHK)での初代「体操のおにいさん」で子供たちの人気者になり、以後、俳優、司会者としても活躍。妻はドラえもんの声優で知られる大山のぶ代(写真右)。認知症を患う妻を介護していた最中の7月11日、尿管がんにより没した。●かまやつひろしさん(ミュージシャン、享年78) ザ・スパイダースのメンバーである一方、『あの時君は若かった』『いつまでもどこまでも』『バン・バン・バン』など作曲も担当。解散後も吉田拓郎作詞作曲の『我が良き友よ』が大ヒット。父はジャズシンガーのティーブ釜萢、歌手・森山良子は従妹。3月1日、膵臓がんにより没した。●森慎二さん(元プロ野球選手、享年42) 1997年にドラフト2位で西武に入団。2002年、2003年には最優秀中継ぎ投手に選ばれた。2005年に渡米しデビルレイズに入団。退団後、独立リーグの監督などを経て2015年から西武の投手コーチに就任した。通算44勝44敗50セーブ。6月28日、壊死性筋膜炎によって死去。●神山繁さん(俳優、享年87) 文芸座で演出助手から俳優に転身。1965年ドラマ『ザ・ガードマン』(TBS系)で広く知られるようになり、映画『ブラック・レイン』(1989年)、『沈まぬ太陽』(2009年)などに出演。1月3日、肺炎で死去。「葬式無用、戒名不要」の遺志により、葬儀・告別式は行なわれなかった。●松方弘樹さん(俳優、享年74) 父は俳優・近衛十四郎、母は女優・水川八重子。映画『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』(1960年)で主演デビュー後、任侠映画や時代劇を中心に活躍。代表作は『仁義なき戦い』(1973年)ほか多数。大の釣り好きとして知られた。1月21日、脳リンパ腫のため死去。※週刊ポスト2017年12月22日号
2017.12.15 16:00
週刊ポスト

渡哲也、映画制作への強い思い 倉本聰脚本の超大作
和室に座って向かい合うと、切子のぐい呑みを口に運び、うなずきあって微笑む。渡哲也(75才)と吉永小百合(72才)が共演する『宝酒造』の人気CMだ。「昨年の秋から放映されて1年が経ちました。ですからこの10月にも新CMをスタートさせようと一部では検討されていましたが、渡さんの体調も考慮して、9月30日に年末から流れる分の撮影が行われました」 そう内情を明かすのはある芸能関係者だ。渡が急性心筋梗塞で入院し、緊急手術を受けたのは2015年6月のこと。同年11月に『宝酒造』のCMで現場復帰したが、ドラマは2013年9月の『十津川警部』シリーズ(TBS系)、映画にいたっては2005年の『男たちの大和/YAMATO』を最後に休業状態が続いている。「渡さんは肺気腫を抱えており、普段の生活では酸素呼吸器の力を借りています。ストレッチやスクワットといったリハビリも行っているのですが、調子が悪いと散歩のための外出すらできない日もあるそうです」(別の芸能関係者) その渡が2年ぶりに公の取材に応じたのが、CM撮影当日のことだった。渡は吉永を見やって、次のように冗談めかしていた。「元気になったら、最後の1本は吉永さんとご一緒したいなと思います。大ラブシーンがあるのを」 渡と吉永は、1966年の『愛と死の記録』を皮切りに、これまで9作の映画で共演を果たしている。もし実現できれば吉永との記念すべき「10作目」となり、渡にとっては悲願だという。「冗談ではなくもう一度映画をつくりたいという思いは強いと思います。それも、倉本聰さん(82才)脚本の作品というものです。これは石原裕次郎さん(享年52)が存命の頃から構想されていた超大作です」(映画関係者) しかし、病状が一進一退を続ける渡にとって、映画撮影はかなりハードルが高い。「渡さんは自分の都合で撮影に影響が出るなど本来は許さない人。『宝酒造』は渡さんが30年にわたってCMに出演し、その前は15年以上、裕次郎さんが出ていたほどで、石原プロモーションとは深い信頼関係で結ばれています。それは吉永さんも同じ。だからこそ、今回は無事撮影を乗り切ることができましたが、映画となると話は違う。CMとは比べものにならないほど大勢の人に迷惑をかけてしまう可能性がある。“製作総指揮”のような形で名前を入れることは可能なのでしょうが、現実的には、今回のCMが吉永さんとの“最後の撮影”になってしまうのでしょうか…」(前出・映画関係者) それでも、俳優・渡哲也の仕事への思いは強い。「先に逝った渡瀬さんの影響もあると思います」(前出・別の芸能関係者) 今年3月、渡の弟で俳優の渡瀬恒彦さん(享年72)がこの世を去った。胆のうがんに加え、渡と同様に呼吸器も患っていた。「昔は頻繁に連絡をとるわけではなかったのですが、お互い闘病中になってからよく話していたようです。渡瀬さんの演技に対する執念や俳優という仕事への思いを聞いて、思うところがあったんだと思います。渡瀬さんの死に、渡さんを心配する声も周囲からあがっていたんです。ですが、その声に反するように、むしろ渡さんは少し元気になったように見受けられました。石原プロモーションの役員に復帰しましたし、渡瀬さんが死の直前まで次の撮影のことを考えていたことに、“同じ役者としての絆を感じた”と深い感銘を漏らしていて、むしろエネルギーになったみたいなんです」(前出・別の芸能関係者) 2年ぶりの取材の場で、闘病中とは思えない気丈な様子で、変わらぬ笑顔を見せた渡。銀幕への復帰もこの人ならやってくれるかもしれない。※女性セブン2017年11月9日号
2017.10.26 16:00
女性セブン

信長の草履を秀吉が温めていた逸話 信憑性は極めて低い
歴史上の人物の中でも、繰り返し映画やドラマに描かれる人気者に織田信長と豊臣秀吉がいる。NHK大河ドラマでも、繰り返し描かれている。多彩なキャストの名演、怪演に、ついつい本当にあったことと思いがちだ。どこまでが史実で、どこからがフィクションなのだろうか。●『信長 KING OF ZIPANGU』(1992年放送、主演・緒形直人) 明智光秀(マイケル富岡)の謀叛を知った信長(緒形)は、自ら弓を取り、次々に相手を射倒していく。矢が尽きると薙刀に持ち替えて戦い、森蘭丸(石野太呂字)も雄々しく応戦する。 本能寺の変に関して信頼性の高い史料である『信長公記』には、信長は初め弓で戦い、その後は槍で戦ったとある。ただし蘭丸が一緒に戦った記述はない。 信長はとかくドラマでは“派手”になりがちで『功名が辻』(2006年放送、主演・仲間由紀恵)では、舘ひろし演じる信長が本能寺で鉄砲を持って奮戦。歴史作家の井手窪剛氏によると「銃を撃つ信長はドラマ上の演出」である。●『秀吉』(1996年放送、主演・竹中直人)〈雪の降るなか、信長(渡哲也)が現われる。さっと草履を揃える秀吉(竹中)。「草履がぬるい、尻に敷いたか」と信長に蹴りつけられた秀吉が答える。「抱いておりました」〉 誰もが知る“猿”と呼ばれていた頃の秀吉と信長の出会いのシーンだが、「このエピソードは江戸中期以降の『絵本太閤記』が初出で、信憑性は極めて低い」(前出・井手窪氏)というのが定説だ。※週刊ポスト2017年8月18・25日号
2017.08.15 07:00
週刊ポスト

「最後のマネジャー」が語る石原裕次郎と石原プロ
3月末まで『石原プロモーション』で常務取締役を務めていた仲川幸夫氏(77才)が、石原プロに入社したのは1977年10月のこと。 それ以降、毎日の業務内容や石原裕次郎さんはじめ俳優陣の様子などを手帳に克明に記録してきた。40年分の手帳は段ボール箱をいっぱいに埋めるほどの数だ。ページをめくりながら、仲川氏は初めて出勤した日を思い起こした。仲川氏は「石原裕次郎の最後のマネジャー」として知られる。 「当時も東京・調布に事務所がありましたが、事務所とは名ばかりのプレハブ。裕次郎さんはお気に入りの赤いソファベッドに寝そべっていました。そこで、新入りの私が“どこまでできるかわかりませんが、精一杯がんばります”と挨拶すると、第一声は“それじゃあ困るよ!”と。“オレのことは構わないけど、若いのがいっぱいいるから、そいつらのことはちゃんと面倒見てやってくれよな、頼むよ”って言うんです。天性の兄貴肌の人でした」(仲川氏) 石原プロの俳優たちは裕次郎さんに深い尊敬の念を抱いている。渡哲也は特に顕著だ。 「裕次郎さんと渡さんが出会ったのは、日活撮影所の食堂。渡さんが挨拶に向かうと、裕次郎さんは立ち上がって“きみが渡くんか。がんばって”と手を握ったといいます。スターには横柄な態度の人が多い中、裕次郎さんは違った。それに渡さんは感激して、以来兄弟のような絆で結ばれたんです」(芸能関係者) 固い絆は仲川氏をはじめとした石原プロの社員・スタッフたちも同様だった。 「裕次郎さんが人を叱ったり怒ったりするところを一度でも見たことがありません。いつも朗らかで明るく笑っていました。 入社直後、熱心な裕次郎さんファンが事務所に電話をかけてきて、一目見たいってしつこいもんだから、撮影場所を教えてしまった。当然、ロケ地に人が集まってしまいました。それでも裕次郎さんは怒らず、代わりに私をおっちょこちょいの『おっちょこ』って名づけました。裕次郎さん、あだ名をつけるのがうまいんですよ。しばらく経験を積んで、ミスが少なくなってからは、でっぷりとしてきた私のお腹を見て『ポンポコ』に変わりました」(仲川氏) 石原プロは「情の会社」だ。所属など関係なく、俳優やスタッフには腹一杯食べさせる。同じ釜の飯を食べ、食を通じて結束を深めていく。石原プロが東日本大震災や熊本地震の被災地で炊き出しを行ったのも、「みんなで満腹になるまで食べて笑って、それが幸せだ」という裕次郎イズムを引き継いでいるからだ。 仲川氏の手帳を覗くと、裕次郎さんが休みのたびにハワイに足を運んでいたことがわかる。父親が海運会社に勤めていたこともあり、幼少から小樽(北海道)や逗子(神奈川県)で育った裕次郎さんのそばには、いつも海があった。「自分が操るヨットに知り合いが乗ると喜ぶんです。まるで子供みたいに、“なァ、楽しいだろう? おもしろいだろう?”と大はしゃぎで。スタッフの私も、何度も裕次郎さんのヨットに乗せてもらいました。 ハワイには別荘とマンションを所有していました。そういえば、神田正輝と松田聖子ちゃんが裕次郎さんに世間に公表する前に結婚の報告をしたのもハワイでしたね。裕次郎さんは大喜び。でもふたりが席を外したら“あいつら、いつまでもつかな?”ってシャレをきかせたりして(笑い)。 一度、ハワイにいる裕次郎さんを驚かそうと内緒で突撃訪問したことがあるんです。そしたら“おう、よく来たな!”って大喜びで、高いワインを空けて、歓迎の食事会まで開いてもらいました。元来、人を喜ばせることが大好きで、遊び心も忘れない。当時はポーカーも大好きでしたね。とにかく勝負強い。ポーカーで裕次郎さんが負けたところは見たことがありません。でも、最後は自分の勝ち分を全部“やるよ”とみんなに分けてしまう」(仲川氏) 裕次郎さんには、恋の噂もついて回った。特に世の中の関心を集めたのは、1957年に映画『鷲と鷹』で初共演を果たした浅丘ルリ子(76才)との仲だった。 「実は裕次郎さんに聞いたことがあるんですよ。“ルリちゃんとはどうだったんですか?”って。ルリちゃんは石原プロの役員だった時代もありますし、端から見ていても、異性として好きだったように感じましたから。でも裕次郎さんには“ないよ。何もない”って笑ってあしらわれました」(仲川氏) 裕次郎さんの生涯は、病気との闘いでもあった。1978年に舌がんを患い、1981年には西部警察のロケ中に解離性大動脈瘤で慶応病院に緊急入院。生還率3%という大手術を乗り越えるも右耳の聴力を失い、1984年には肝臓がんが発覚。1987年7月17日、裕次郎さんは52年の生涯に幕を下ろした。「亡くなる2か月ほど前、私は病室の裕次郎さんからお使いを頼まれたんです。“どうしてもメロンが食べたい”って銀座まで買いに走って。でも、違う種類を買っちゃったんですよね。最後の最後にまた『おっちょこ』が出ちゃって。裕次郎さんは、“おまえ、罰としてベランダの掃除だな”って。病室のベランダの掃き掃除をしていた私の姿がよっぽどおもしろかったのか、体はつらいはずなのに、またいつものニコニコした笑顔に戻っていました。その笑顔が、今でも忘れられません」(仲川氏)※女性セブン2017年4月27日号
2017.04.18 11:00
女性セブン

石原裕次郎最後のマネジャー 突然の退任劇に違和感訴える
「裕次郎さんが亡くなってちょうど30年。その名に恥じぬよう、石原プロを盛り上げていこうと思っていた矢先のことでした。一体何が起きたのか…。今はただ呆然としています」 混乱の渦中にあって、絞り出すようにそう話してくれたのは、3月末まで『石原プロモーション』で常務取締役を務めていた仲川幸夫氏(77才)だ。 石原裕次郎さん(享年52)が40代前半の頃から亡くなるまでを担当した「最後のマネジャー」で、裕次郎さんが名付けた『ポンポコ』の愛称でテレビや映画関係者からも親しまれてきた人物である。 発端は4月初旬、マスコミに配られた石原プロの「役員改正」のお知らせだった。「仲川さんが任期満了を理由に会社を去る一方で、6年前に社長から退いていた渡哲也さん(75才)が『相談取締役』として経営陣に復帰したという内容でした。でも、今、渡さんは自宅のベッドから起き上がるのがやっとという深刻な病状だと聞いています。体力的に大丈夫なのかと心配する声が上がっています」(芸能関係者) 石原プロは裕次郎さんが1963年、芸能事務所兼映画製作プロダクションとして設立。渡を筆頭に、舘ひろし(67才)や神田正輝(66才)らが所属し、かつては寺尾聰(69才)や峰竜太(65才)も名を連ね、『石原軍団』のニックネームで親しまれてきた。初代社長の裕次郎さんの没後は、渡が跡を継いで2011年まで社長を務めてきたが、体力的なこともあって退いていた。「その後、裕次郎夫人で会長を務めるまき子さん(83才)をナンバー2の立場で支えてきたのが常務の仲川さんでした。最近は過去の作品のソフト化や有料放送などに力を入れるなど手腕を発揮して、会社の経営は黒字で安定。ところが、この3月に突然の解任通告があったそうなんです」(前出・芸能関係者) もともと石原プロには『コマサ』の愛称で親しまれた小林正彦・元専務(享年80)という大番頭がいた。映画離れが進み、映画製作プロダクションの多くが経営を悪化させていった時代に、早くからテレビドラマの可能性に目をつけ、裕次郎さんほか俳優陣を説得してドラマ界に進出。その決断が『太陽にほえろ!』や『大都会』、『西部警察』などの大ヒット作を生んだ。「コマサさんは2011年に会社を辞めましたが、専務ポストは空席のままでした。ところが、昨年10月にコマサさんが亡くなると、仲川さんを専務に推す声があがったんです。それに違和感を持ったのが、渡さんだったそうです。“自分が病床にあって思うように動けない間に、仲川さんが会社を牛耳ろうと画策した”と思ったのでしょうか、『仲川さんは私を裏切ったのか』と周囲にこぼしたそうです。仲川さん自身、そんなことを思っていなかったようですが…」(前出・芸能関係者) 石原軍団といえば、礼節を重んじて仲間を大切にし、鉄の団結を誇る“男くさい”熱血集団だったはずだ。小さなすれ違いが内紛ともとられる経営陣の退任・再任劇を起こしてしまったのか…。 石原プロに問い合わせると「新旧交代の時期が来たので、正式に株主総会を開いて、仲川氏には任期満了に伴い退任していただきました」という回答だった。本誌・女性セブンは仲川氏の元を訪ねた。すると、冒頭の言葉に続けて、思いの丈をこう明かした。「年齢のこともあり、いつか身を引く時がくることは自覚していました。ただ、わけもわからずこんな去り方になってしまったのは本当に心残りです。もし裕次郎さんがいてくれたら…。裕次郎さんは本当に太陽のような人でした」 国民的大スターがこの世を去ってから、今年で30年。1991年に小樽に開館した『石原裕次郎記念館』は、この夏で閉館を予定している。石原プロは今、岐路に立っている。仲川氏はこう語る。「理由ははっきりとはわかりませんが、会社を辞めてくれと言われ、40年尽くした石原プロを去ることになりました。もし渡さんが元気でいてくださっていろんな話を聞いてくれたら、もし裕次郎さんが生きてくれていたら、こんなことにはならなかったかもしれません。没後30年という大切な年ですが、もう私は一切、石原プロにかかわることは許されないでしょう。今後の石原プロに不安はあります。ただ今は、昔のように活気があり、かつての情の深かった石原プロの姿に戻ってほしいと、切に願っています」 映画やドラマを見る私たちも、あの頃、しびれるほどにかっこよかった石原軍団の躍動を、もう一度見てみたいと心から願っている。※女性セブン2017年4月27日号
2017.04.15 07:00
女性セブン
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