現在はジャニーズ事務所所属タレントが司会を務めることもあり、会場となる日本武道館には女性ファンが大半を占めている。しかし、第1回目の代々木公園には男性や子供ばかりだった。
「人気絶頂のピンク・レディーがいたからという理由もあるでしょうが、それ以上に番組に対する熱狂が凄かった」(同前)
サポート役として進行していた徳光和夫氏(当時日テレアナウンサー)が会場へ降り、「こんなことを欽ちゃんたちに言いたいということがあれば、手を上げてください」と質問を募った。すると、千葉から訪れた高校3年生の男子が熱く訴えかけた。
「欽ちゃんさ、あの聖火みたいにさ、今日1日で消さないでさ、ずっと続けてよ。これ消えちゃったら、つまんないじゃない? タモリも頑張ってよ。どんどん訴えて、笑いで」
会場からは拍手が巻き起こり、欽ちゃんも「そうだよなあ!」と呼応。「笑いで訴えて」と言われたタモリは「わかりました」と冷静に対応していた。
この熱狂ぶりに、当時の小林與三次日本テレビ社長が舞台裏から突然登場。欽ちゃんからマイクを奪い、「全国の皆さん、ありがとう。心から御礼申し上げます」と感謝。欽ちゃんが会場を指差し、「また来年もやってくれと言ってますよ」と問い掛けると、「ご支持いただくなら、何度でもやります! そういう必要がある限り」と力強く宣言。すると、会場からは小林社長の声をかき消してしまうほどの大拍手が巻き起こり、翌年以降の開催も決まったのである。
盛り上がりに比例するように、最終的な募金額は12億円近くに上り、日本初の大型チャリティー番組は大成功に終わった。あの熱狂から37年。今も番組は続いている。