「倒壊した家屋と瓦礫の山を眺めながら“まるで映画のセットみたいやなぁ”と、どこか絵空事だったのが、徐々に現実を理解していくと、それまでに味わったことのない絶望感で胸が押し潰されそうになったことを覚えています。
そんな中、Mステを通常通り生放送すると知った時はめちゃくちゃ驚きました。“こんな大変な時なのに放送していいの?”“不謹慎って言われない?”って。確かSMAPは新曲を披露する予定だったはずなんですが、急遽被災者へのメッセージと曲目変更して『がんばりましょう』を歌ってくれたんですよね。もうね、それを見て子供みたいにワンワン大泣きしましたわ。張りつめてた糸がプツンと切れたんでしょうね。ちゃんと歌を聴きたいのに、ちゃんと彼らの姿を見たいのに、涙が邪魔で。自分の嗚咽がうるさくて歌が聴こえんと(笑い)。
でも、別に悲しくて泣いたわけではなくむしろ嬉しかったんですよね。いつものようにMステがあって、いつものようにSMAPがカッコ良くパフォーマンスしてくれることに。“あぁ大丈夫だ!”って確信できたんです。生きててよかったと思えたし、ひとりじゃないんだって。兵庫県民の自分にとっては本当にありがたかったなぁ。
あの時にもう一度前を向いて歩いていく勇気をもらえたこと、励ましてもらえたこと、メッセージとともにこの曲を歌ってくれたSMAPには一生足を向けて寝られません。
2011年には東日本で、そして今年は熊本…。きっとあの頃の自分のように、SMAPから元気と勇気と希望をもらった人がたくさんいたんじゃないかと思うんです。きっとSMAPって、永遠にそういう存在なんだと思います」
1996年5月、メンバー森且行(42才)が、オートレーサーに転身するために脱退。突然の別れに涙があふれたが、残った5人は仲間の夢を全力で後押しした。1996年7月、5人のSMAPとして初めてリリースしたのは『青いイナズマ』だった。オリコンランキングは初登場堂々の1位をGetした。そしてSMAPにとって初めてのミリオンセラーとなったのは『夜空ノムコウ』(1998年)だ。
「なんか、いい曲だよね」。かつてそんな会話をした記憶が、あなたにもあるのではないか? 前出の矢野さんが言う。
「バブル崩壊後の失われた10年に社会に出た若者たち、ロスト・ジェネレーションのBGMでした。フリーター、ニート、ひきこもり、派遣労働者、就職難民などが急増し、格差社会も出現しました。そうした時代、社会の気分を映し出したのがこの曲ですが、SMAPが国民的アイドルとして、そういったみんなの言葉にならない声を代弁していた。“あれからぼくたちは何かを信じてこれたかな”って」
※女性セブン2016年9月22日号