◆最後は純粋な境地に戻れるかどうか

 神場は言う。〈自分は人生で、二度、逃げた〉と。2度目は16年前だが、1度目は子供の頃、親友をイジメから救えなかったことで、彼の生い立ちから駐在時代や刑事になってからのあれこれを、読者は読むことになる。

 出色は雨久良の〈米泥棒〉事件だ。ダム建設の賛否に割れる村では双方が犯人説を流し、その子供が苛められてもいた。神場は執念の張込みで真犯人を逮捕し、村人をこう諭した。〈一番の被害者は、窃盗にあった家じゃない。村の子供たちだ〉〈大人たちの諍いで傷ついた子供の心は、ずっと治らないのかもしれないんだぞ〉

 また巡礼中に寄った喫茶店で常連客が当然のように預ける〈コーヒーチケット〉や巡礼者に対する〈お接待〉の風習など、人間の善意を前提とした古き佳き空気は、他の柚月作品にも共通する。

「確かに『孤狼の血』にもコーヒーチケットは出てきますが、そうか、古いんだ(笑い)。でも道を訊かれたら親切になさいと教わった昭和育ちの私はお接待文化を素敵だと思うし、人間を常に好きでいたい。

 米泥棒も本筋とは無関係ですが、神場が刑事である前にどんな人間かを書かないと、再生は描けなかった。駐在時代がゼロからの出発だとすれば、信用も財産も失う覚悟で過去と向き合う生き直しはマイナスからのスタート。でも人間、最後は元いた純粋な境地に戻れるかどうかなのかなって」

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