《病院に入らず最期まで自宅で過ごし、人間がどういうふうに生き、そして死んでいくか、身をもってそのストーリーを娘に見せてくれたことです。いまは、病院で亡くなる人が多いから、死ぬことのリアリティーが薄まっているように思いますが、我が家は、家族全員が母の闘病に集中し目撃し、自分の人生の事件として捉えました。娘は私に『長生きしてほしい』と言うんですよ。それは、母の死からリアルに命のかけがえのなさを感じ取ったからだと思うんですね》
そういった意味で今回の“お母ちゃん”はりえにとって運命的な出合いとなったという。それは監督の中野さんにとっても同じだった。
「この物語は“母”が決め手だったので、絶対に本当にお子さんがいるお母さんに演じてほしかったんです。そして、死ぬことをちゃんとわかっている人にやってほしかった。りえさんはぼくと同じ年で、ぼくらの世代のずっとトップランナーでしたから、浮き沈みも知っていましたし、双葉はりえさん以外に考えられませんでした。
最初に会って話をしたとき、りえさんは『普通の母をやりたいと。聖人みたいな完璧な母ではなくて、普通の母なら私は演じてみたい』とおっしゃいました。ぼくもそこは同感で、普通の母が死を目前に何を思ったかということを描こうと、ふたりで決めました」
双葉は、死を前にしながらも、家族のために全力で駆け抜ける強くてあったかいお母ちゃんだ。ただ一方で弱くもある。例えばこんなシーン。制服を隠され体操着で帰宅した翌朝、安澄は「もう学校に行きたくない」と態度を頑なにする。しかし双葉は心を鬼にして今までにない厳しい態度で叱責する。しかしそれが正しいかどうかは双葉自身にもわからない。心配で、心配で、娘の帰りを家の外にじっと立って待つ。
「双葉は頑張って強くしているだけで、そうしないとやっていけないだけで、本当は普通の女性で弱さも持っている。そこをりえさんはわかって演じていました」(中野さん)
それは光子さんがそうだったからかもしれない。中野さんにりえは、母のことをこう語ったという。
「みんなが私のお母さんは強い人だっていうけど、本当は弱い弱い人だった。それを隠すために強く見せていただけであって、みんなそこをわかっていないんだよ」
母に愛され、自身も母として愛娘に愛情たっぷり注いでいる。それゆえ母としての思いを伝えることも多かったという。
「学校でいじめられた娘を迎えに行って自転車で帰路につくシーンで、ぼくはいろんなせりふを書いていたんです。でもりえさんが『それはいらない』って言うんです。『ぐっと手を握るだけでいいから。それで充分』って。そういうところは、やっぱり本当の母親にはかなわないなぁと思いました」(中野さん)