◆最後の主将の“夢”
今年のセンバツ決勝は、PLに代わり全国屈指の激戦区・大阪で2強を成す大阪桐蔭と履正社によって争われた。その数日後、私はPLの最後の主将を務めた62期生の梅田翔大に会うため、福岡に向かった。彼は脱退届提出に呆れていた。
「今は自分のことで精一杯で、PL野球部のことを考える余裕がない。ただ、大阪同士の対決でせっかくセンバツが盛り上がっているのに、水を差すようなことはやめてほしかったです」
進学先の日本経済大学の野球部は、PLの大先輩で、埼玉西武などのコーチを歴任した行澤久隆が監督を務め、松坂大輔を擁した横浜高校と延長17回を戦った時の1番バッター・田中一徳(元横浜)がコーチだ。縁もゆかりもない土地でも、PLの血脈は流れていた。
「久しぶりに大人数の練習ができています。ただ、大所帯だと自分の練習時間が少なくなってしまう。他の選手は全体練習が終わると寮に戻りますが、自分はPLで習慣づいていた自主練習をやります。将来は自分を育ててくれた大阪で高校野球の指導者になりたい」
PL学園の野球部を創った男は廃部にショックを隠せず、最後の主将は怒りに近い感情を抱きつつ、将来の夢を語った。姿形はなくなっても、PL野球の誇りと伝統は失われていない。
※週刊ポスト2017年4月21日号