今回、小池百合子さんが国政にからんで登場してきた時、一瞬ではあっても多くの人々は期待したはず。
これまでのしがらみ政治から脱することができるのでは。利権争いをやめ、市民の暮らしのために働く少しでもまともな政治家が出てきたのではないか、と。
女性活躍の時代と言われ、働きつつ子育てすることが普通になったこの時代に、やっと女性たちの代弁者が出てきた、と。例えば「保育園落ちた……」といった嘆きの声の受け皿となり、思いを吸収して立案できる政治がここから始まるのではないか、と。
期待を一身に受け止める「はずだった」小池百合子氏。ですが「希望の党」を立ち上げ民進党の議員を「選別・排除」し始めたあたりから風向きは変わり、その正体がバレてきた。
ママたちの声の代弁者というよりは、策を弄してのし上がっていくことが快感の旧来型マッチョ政治家? 女の衣を纏った、古色蒼然としたオッサンではないか?と。そう、本当は、困っている民衆の味方ではなく敵ではないのかと。
小池さんへの期待外れと、ドラマが描き出す女性市議への期待感。2つの政治家像を対比させて見てみたい。
このドラマの公式ページにこうありました。
「日本は「待機児童」「介護」「生活保護」など何かと社会問題に直面する激動の時…。だからこそ、今作では新米ママさん市議会議員を主人公に、声なき市民と向き合いながら市政にはびこる悪や社会で起きている問題を素人目線・女性目線でぶった斬っていく」
声なき市民と向き合い、政治の世界にはびこる悪、社会で起きている問題を素人目線・女性目線・新鮮な目線でぶった斬っていく政治家。いったいいつになったら、そんな政治家が現れるのか。活躍するのか。
このドラマが投げかけているテーマは、噛みしめるほどに渋い味がしそうです。